みなさんこんにちは、こんばんは












ドヤ街と私
今から約40年前の
先が見えなくて苦しんでいた20代に
海外のスラム街や
日本のドヤ街を巡りました
山谷、寿町、釜ヶ崎…
大阪釜ヶ崎のドヤ街では
飯場の仕事にあぶれた
日雇い労働者が
公園や路上でお酒を飲んだり博打をしたりしていました
公園には、マンガ
「じゃりんこチエ」のような元気な子どもたちがいて
一緒に遊びました
横浜寿町では、
日雇い労働者と一緒に
文字を学びながら
自分の人生を言語化して
捉えなおす
識字教室にも参加しました
文字と言葉を獲得していく
なかで、何故このような人生を歩んできたのか
生きてきたことには
どんな意味があるのか
などを捉え直したことを
きっかけに
新しい歩みを始めた
多くの人々に出会えました
東京山谷では
厳冬期の炊き出しに
参加しました
公園でドラム缶で焚き火を
して暖を取って
寒さを一緒にしのぎました
東京でも寒さは容赦なく
仕事も家も食べ物もない
働けない高齢者は
路上で凍死していきます
そんな山谷で
寄付された古着を仕分けしている
ひと目見たら忘れない
頭がピカピカに光る
髪の毛のない若者
を
見かけました
それから数年後、
私がインドのコルカタ
マザーテレサの施設に
ボランティアに行ったとき
なんと以前山谷で見かけた
あの髪の毛のない若者
に
再会し
インドでのボランティアのイロハを
教わることになったのでした
マザーハウスでの
ボランティアは過酷です
自分で気をつけないと
病気に感染したり
疲れて病気になったりして
その後の人生が転換を
余儀なくされることが
あります
当然にすべて自己責任なので自分で自分をケアし、病気などから守らなければなりません
そんな病気に対する
自己防衛術や
数ある施設のことなど
次々訪れる
世界中のボランティアに
案内してくれていたのです
マザーからも篤く信頼され
修道会への入信を
ススメられていました
彼の日本での仕事は
夜間の巡回介護と
弾き語りする歌うたい
働いてお金を貯めて
インドのボランティアに行く
そんなライフスタイルです
そんな彼が
YouTubeに登場し
初めて山谷に来た人を
案内していました
そのYouTubeが
こちらです
是非、ご覧ください‼️






