私が自己探求する事をはじめて、かれこれ10年が過ぎました。
自分の制限を超えていくことで
自分の枠は広がり、またその枠を破壊してスペースを作る。
そんなことの連続のなか、覚醒していくことは
3次元のルールから外れることであり
自分ルールでもなく多様性に溢れているのだと気付きました。
エゴはなくならない。
けれども、エゴと上手に向き合えるように見えてた時に
私の枠はまた広がり大きくなろうとしてストーリーが展開されていきました。
久しぶりにストーリーにどっぷりはまり込み、抜け出すのに時間を要したのは
そのストーリーを持っていたかったのだと気付いて
笑えた。
もう要らないのに、またそこへ戻っては
自分にとっての現象をこねくり回す(笑)
そう…
こねくり回している時点で、またストーリーが展開されるのです。
どうして持っていたかったのかは
簡単に言うと執着なのですが…。
自分にとっての大きな出来事を、忘れたくなかった。
ない事にしたくなかった。
ということです。
全体から離れ、とってもとっても個人的なことに思えてもがき苦しみました。
持ち続けた事で、沢山のことがわかりましたが
「もうええわ!」
と、いきなり幕が閉じたのです。
例えるなら、漫才師がネタの最後に「もうええわ!」と突っ込んでる感じ。
3次元的ストーリーの遊びを理解した瞬間でした。
私はずっと遊んでいたんですよね。
その遊びを手放した後から、色んな意味でストーリーへの感謝も産まれた。
そして これは 愛 なのだ!という想いも沸いてきた。
この沸いてきたことは私にとってはヘンテコな感じであったけれど、とてもとてもすぅーっとやってきた。
シェアすると
あなたが私をそんなに憎むなら 命さえ惜しくない。
あなたに殺されるなら 本望だ。
こんな感じでした。
別に死にたい訳ではないですよ(笑)
そういう事態になったとしても、受け入れます。
そんな気持ちになったのです。
ストーリーの執着を手放したら、こんな想いが沸いてくる自分って…。
と思いつつも、また一つ螺旋を上がったのだなと感じました。
最近は起こる事は自然で 意味付けをしない方向が
多くを占めています。
昔は意味づけをして安心したい気持ちの方がまさっていました。
流れに身を委ね、とても力の抜けた状態で過ごしています。
新しいフィールドでの展開を 楽しんでいます。
もちろん、醒めて♫
いつかの彩雲✨✨🌈