こんにちは。

今日は満月ですね。

前回の記事で、体感的にうお座領域の話を書きましたが
どうやら、少し星の軌道的には先取りしていたみたい・・・。

今までは、情報が先に入ってきていましたが
最近は自分の体感を自己信頼していく方があり方として鍛えられています。
なので、情報があとで入ってきた時(入らない時もあるけど)
確認程度・・という感じになっています。
「そ~~なんだ」という感覚。
 

今朝、燻っていたことが解消されました。

私を長年知ってくださっている方、削除した前作のblogを読んで下さっていた方はわかるかもしませんが

ちょうど2年前に「愛」についての設定を掛けました。

設定をかけてもすぐに忘れてしまうのが私のいい所??でもあるのですが、気付いたら本当に「愛」ということについての現象が始まりました。

 

私にとってそれは衝撃的な現象で、意識を持ちながら観察をすることさえもままならない状態に
陥っては立て直しの連続でした。

1年前にその現象自体は突然幕を閉じ、私はエネルギーの関係と観察を深く深く観てやり残している未消化なことを統合させていくプロセスへ入りました。

個人的なことでありながら、もう全体的(集合意識)の昇華だなぁ~と半ば過酷だと嫌気がさしながら(笑)
本当、真剣に取り組みました。

そして今年7月、また起こった。
この現象についてずっと燻っていたのは「支配」だとわかったのです。


支配とコントロールからくる愛。
真実の愛の真逆。

私は自分の中で真実と嘘(素直で正直というものも含みます)というものにこだわっていました。
それは私が辿ってきた意識とエネルギーが創り出す真実というものを体感で腑に落としてきたからこそ

真逆を嫌っていたことに気付いたのです。

 

どちらも「愛」にはかわりがないということを知りたかった。知る必要があったのです。

人は少なからず人を支配しコントロールしていると思います。

自分の意見に共鳴ではなく、同調するとか、集団であることの安心感とか。

孤独があるゆえの、欲求。

それがいいとか悪いとか、そういう話ではなく「そういうものがある」のだということ。


これって人間だから感じることなんだろうな・・・って。

 

全体の中で個人として生きるには集団で生きていく事の力も必要だろうし、個人として自分の質を活かして全体に与える力も必要。


孤独であることはみんな同じなんです。
個人の中の世界観を一緒に生きることは出来ないから、分かち合い響き合うことができるのだろうな。

 

どっちだっていいのだなぁ~と。
すべては「愛」から派生しているのだから。

 

じゃぁ・・・どう生きる?

 

どんな生き方もまるごとOKです。本当にそう思います。

 

意識的に生きていることを知っていても、何も知らなくても自分ということを思いっきり楽しんで生き抜くこと自体が「愛」には変わりません。

 

それならば・・・・。

私は支配やコントロールで縛られる「愛」で生きるよりも、素直に誠実に調和していける「愛」を
選択していたいなと思います。