「もう若くないし、全力なんて出さない。6~7割の力で十分。頑張り過ぎず自分の好きなこと、やりたいことだけやります❗️」


言葉だけ聞くと、ずっと仕事に懸命に取り組んできた仕事の出来る人の発言に聞こえるけれど、その発言者が「一人前の仕事すら出来ていない人」だとしたら話は別になります。


私が考える「6~7割の力でやる」という発言が許される人とは、これまで全力で仕事をして成果を出し続けてきた人だけです。そのような人は経験も能力もあるので、力を抑えてもパフォーマンスは落とすことはないでしょう。

しかし、基本であるスキルも身についていない人が「6~7割」などとリミットをかけることは、ただの職務放棄であるし、その仕事を馬鹿にしていると感じてしまいます。
その上、年齢を理由にするのも自分勝手な話です。同じ年齢層でも仕事が出来る人はいるし、必死に努力して頑張っている人だっています。年齢云々というより、単に自分が仕事が出来ない人間というだけなのに、それを手を抜くため・さぼるための免罪符にするのは同じ年齢層の人にも本当に失礼な話です。

どのような仕事でも、しっかり経験を積んできた人は年齢を重ねるにつれ経験値も上がっているため、もし違う職についたとしてもその経験は何かしらで生かされたり、力となることは多々あると思います。
しかし、大した努力もせず運や流れに身を任せ、ずっと楽な道を選択してきた人は経験値も能力も低い。だから年齢を重ねるごとに仕事を失ったり、違う職についても仕事が出来ない人が多いです。


「頑張りすぎない」という言葉も、頑張ってきて初めて言える言葉です。最初から全力も出さず、努力する気もない人が言っていい言葉ではない。誰でも簡単にわかることです。



そもそも6~7割の力しか出さず努力もしないあなたの、残りの3~4割はどこにいく?

そのしわ寄せは必ず他の誰かにいっています。誰かがミスをカバーし、誰かがやり残した仕事を片付け、誰かがその自分勝手な人と周囲との関係に気を配り疲弊していることでしょう。

冒頭の言葉を安易に言えてしまう人は、自分の周りには常に
「自分のせいで犠牲になっている人の存在」
がいることを理解しているのでしょうか?
まあ、理解していない・理解出来ないから簡単に言ってしまうのでしょうね。



このような人には自分勝手で自己中心的、プライドが高く自己評価が高い人が多いです。
自分中心でしか物事を見ることが出来ないし考えていないので、周囲の目にも全く気付かないし、周囲の考え方も理解出来ないし気持ちを想像することさえ出来ません。
そのため、"仕事が出来ない・職場で良く思われていない・扱いにくい" などと思われていても自分のことだとは思っていません。


【頑張りすぎない❗️私は私の好きなことだけやる、それが自分らしい働き方】
その裏では誰かが、その人の残したやりたくない仕事をすることになります。


他者の犠牲の上に成り立つ、自分らしい働き方って何なんでしょうか?

私は、自分の能力を過信して能力もスキルもないのに安易な発言をする人や、他者への想像力が欠けている人、私欲のために他者を犠牲にする人は、ただの迷惑な人だと思います。誰も一緒に働きたくないでしょう。
そのような人には周囲に迷惑をかけないように、なるべく他者には関わらず1人で働いて欲しいし、仕事に関しても安易に発言しないで欲しいです。




・・・でも、このような人は視野がとてつもなく狭いから自分を客観的に見ることは出来ないし、ずっと変わらないのでしょう。