何年も会っていなかった母。
変わり果てていましたが 入院病棟で すぐに見つけました。


9日ウニくんの24時間心電図ホルダーをつけてもらいに
昼過ぎにかかりつけの動物病院へ。

そこでいつものようにiPhoneを取り出してウニくんを
撮っているときに
夜中に姉から着信が3回もあったことに
初めて気づきました。


夜中に電話をかけてくるような姉ではないので
これは絶対何かあったと思いました。


父のことだと思いました。
数ヶ月前 脳梗塞で病院へ運ばれ
左手と口の動きが少し不自由になったことを
聞いていたので
あ・・・・・ついに・・・・・・と
思ってしまいました。


が、姉に電話してみると

「お母さんが 心不全で病院に運ばれたよ。
 今日か明日にはもうダメかもしれないから
 下の娘さんを呼んだほうがいいって先生が・・・

 もし◯◯ちゃん(家族が私を呼ぶときの愛称)が間に合わなかったら
 お母さんが◯◯ちゃんに

 『大好きだよ 大大大好きだったよ』って言っておいてって頼まれたよ」

と姉が私に言いました。

もう、ウニくんの病院であるにも関わらず号泣・・・

受付で、ウニくんのホルターをキャンセルして
とにかく
いったん家に戻って なしゃんにんタマも連れて 実家に帰らなかきゃ!と
思いました。

心臓が、というか全身がドキドキバクバクワナワナしていました。

ウニくんたちと ウニくんたちの薬を持って
実家に向かおうと思いましたが

車で2分とかからない動物病院から帰ってくるのも
危なかった私。

これは、240キロの運転は無理だ と判断し

気は進まなかったけれど それどころではないので
勤め人ではない 元ウニ父に お願いして母の病院まで運転してもらいました。


母は鼻には酸素のチューブを入れ
腕にはたくさん点滴をつけていましたが
「よく来たね よく来たね」
元気に言ってくれました。

しばらく二人で泣きました。

私と母は、訳あって今あまり会えなくなっていますが
一卵性母子と言われるほど
仲が良い母子なのです。会えなかった時も ずっと一卵性母子でした。

お互いに電話で元気をもらいあっていました。

その母が今日明日にもいなくなる・・・?!

と、数日は真っ暗な気分でした。




けど、実家に何年かぶりに来たウニくんも
環境が急に変わったせいか、いきなり元気がなくなり
歩かなくなり、ご飯も食べず
薬を飲ませようとしても ものすごい抵抗され
ついには ウニくんに初めて手を噛まれました。



母のそばを離れなたくないし
ウニのことも心配だし・・・
なんとも言えない状態でした。



母の症状は、とういうと

いきなり心不全になったわけではなく
おそらく、本人ががんばってしまったため
心筋梗塞に気づかずに
心不全に陥ってしまったのだろうということでした。



「今思えば、ちょっと前から 10歩歩くのも しんどかった」
今更言っておりました・・・

その時、病院へ行ってくれていれば・・・

と、思いますが 仕方ないですね。

母は姉に心配かけまいと がんばってしまったようです。
で、10歩も歩けなくなった日に
「◎◎ちゃん(姉の愛称)明日から、ひとりでお買い物行ってくれる?」
言ったそうです。


そうなっても尚
じっとしれられない性格の母は
お皿を一枚洗っては深呼吸 一枚洗っては深呼吸していたようですが
ついに
「もう無理だから 救急車呼んで」
言ったそうです。


そして病院に運ばれてみたら・・・
今日にも亡くなるかもしれない状態の心不全
でした。。。

なんで そこまで・・・・・・


遠く離れている私が何を言う資格もないことは重々承知なのですが
それでも・・・
近くにいて 姉と父は何を見ていたんだろう・・・

と思いました・・・
(あ、でも私は姉が大好きです)




数日、母の様子を毎日見に行きました。
ころたちは、姉といっしょに車で待っててもらい
姉が母を見舞う時は 交代しました。



先生のお話では

重症なので、この先 急変する可能性もありますが
一応、落ち着いている。

このまま回復方向に向かえば
足の付け根からカテーテルを入れる手術(心筋梗塞の方がやりますよね)を
することを勧めたい。

と、いうことでした。

が、実家にある市ではできないので
その時は、東京の大学病院に来ることになっています。

もちろん、歩くこともままならないので
民間の救急車を手配しようと 今から予約しています。




今は、東京にもどってきておりますが
また度々、帰るつもりです、
ウニくんの負担と相談しながら。




母には ここずっと何年も東京で私と暮らすよう
お願いしてきたのですが
やはり 母のいろいろな想いがあり
実現できず、
もし、いっしょに暮らしていたら
こうはならなかったのでは と思ったり・・・



でも母が選んだ道ですから。



私は、出来る範囲で出来る限りの事をしてゆきたいと
思います。




母は今生の別れのように
何度も何度も私の頭を撫でていました。