ニラのメモ
通称ニンニン



2002年9月10日我が家で誕生
    生まれたときの体重102グラム

2005年12月7日
血小板減少症
(ネギの発症を機会に血液検査したところ判明)
プレドニゾロン5mgを1日2回服用
サンディミュン25mgは、副作用のための嘔吐で中止

同年同月14日
血小板、水準近くまで戻る

2006年6月19日
去勢(避妊)手術

翌日退院

同年同月27日
包帯が急に茶色くなり始めた
吸収糸が弱くなってきたため
(普通のワンちゃんであれば術口が完全に塞がっているので、
 吸収糸は徐々に弱まり吸収されていく時期である)
術口がまだ塞がっていないニンのお腹から
中から汁等が出ており再手術

翌日退院

同年7月12日
無事抜糸

ネギ初め、ナス ニラとも
「傷口がつきにくい」体質なのは
ネギの両親の近親交配による先天性異常である可能性が高いという
結果である。
営利目的の可哀相な交配は、控えて頂きたいものです。

2007年4月17日
歯石除去(麻酔無し)

2007年5月22日
ネギの紫斑が出たことで
いっしょに血液検査をしたところ
血小板が 少なくなっていた。
薬は飲まず、「ヒルズのサイエンスダイエット」のみの食事で
食事療法を。

その一週間後(5月30日)、再検査の結果
血小板は正常に戻っていたが
総タンパク、栄養タンパクが
低くなっていた。
これより一週間「免疫抑制剤」を服用

6月6日
再々検査の結果
タンパクも すべて正常値の域に戻っていた。
免疫抑制剤は、急に止めらない薬であるため
一錠から半錠に減ることになった。

6月11日
免疫抑制剤、一日一回四分の一錠に。

6月19日
免疫抑制剤、一日置きに 四分の一錠に。
2009年7月27日
鎮痛剤のみで、歯石除去。
グラグラだった左上犬歯の横の小さな歯を
一本だけ、抜歯。
迎えに行くと、
歩いて私の所まで来た。
いつもどおりのニラ。


12月15日
二ヶ月ほど前から 右膝の当たりに おでき。7~8ミリ
「組織球腫」であろうと診断。
大きくなる場合は「組織球肉腫」の場合があるが
どちらも、悪性である確率は低いらしい。

今回測ってもらったら、直径9ミリ、厚み6ミリ。
まだ このまま様子をみていても良いとのことっだたで
そうすることに。

が、出来れば、切除して はっきり何かを調べた方が
安心ではあると 補足。


2010年1月17日
朝、目から黄色い目ヤニ。
その日は、トリミングの日だったが。
トリマーさんにも
「黄色い目ヤニが出ますね?白目が赤くなってますよ」を言われ
その足で、病院へ。
急だったので、担当医さんは いらっしゃらず。
副院長先生に診てもらう。
目は、軟膏状の目薬を処方してもらった。

が、ついでに 膝のおできを見て下さった時
「これは、もう既に切らなきゃいけない大きさものですよ」と言われる。
「とりあえず、目が落ち着いたら、相談しましょう」とうことだったが
家に帰ってからも不安が取り除けず、
翌日電話して、すぐに切ってもうらうことにした。


1月19日
ネギの歯石除去と同じ この日に 切除してもらうことに。
いつもどおり元気に戻ってきたネギに比べ
ショックからか、ぐったりしているニラ。
それでも、一泊入院はなく、日帰り出来た。

が、病理検査結果は、グレード1~3のうち、2というもので
中程度の悪性という結果だった。
再発する可能性は3割程度だそうだ。
これからは、一ヶ月に一度は検査しましょう
ということになった。

左腕の脇の少し上に、ポツとした 極々小さなおできが あるが
(一年以上前からだと思う)
気をつけて、見ていこう。
ウニの 老人性イボと 大きさは同じでも、
触った感じが明らかに違う。


4月23日
トリミングの時、肛門の左2センチくらいの所に
膝にできた 腫瘍とそっくりの おできを発見してもらった。

しばらく様子をみていたが
ネギと ニラのアルブミン検査の時、
おできの細胞をとって、病理検査に出してもらおうと
中味を抜いたら
ほぼ なくなってしまい、その中に 細胞は なかった。
ほとんどが分泌物ということだった。

数週間後、おできは きれいに なくったいた。

8月13日
夜中から明け方にかけて、にんが
おしっこの出る箇所を盛んに舐めている。
その にんが どいた後の布団の上は
直径20センチくらいの 無色透明のシミが出来ている。
それが、3~4箇所。

午前の診察に連れてゆき、
エコー検査、尿検査、血液検査をしてもらうが
どこにも異常なし。

数日、こんな日が続いたが
薬を飲んだ訳でも、治療したわけでもないが
治る。
先生も、初めての例で、原因不明とのこと。



2012年6月26日
2011.12.20にネギが皮膚上リンパ腫で逝ってしまったのを期に
ネギの娘であるナスとニラに
チミジンキナーゼ(リンパ腫マーカーのようなもの)の検査を
してもらうことに。
正常値が5.0以下であることに対し
ニラのチミジンキナーゼの数値は

12月→6.7
 1月→14.0
 3月→8.5
 4月→13.0
 5月→19.0

という具合に正常値に入ることもなく上がってゆく。

ナスが高度医療センターでPET-CT検査を受けてた時
先生から「高くても、同じような数値を行ったり来たりしてる場合は大丈夫。
どんどん上がってゆくような場合は要注意」と聞いていたので
不安がつのった。

ネギと同じリンパ腫の場合、早期発見してもしなくても
助かる道はないと考えて、
へたな治療でストレスを与えるより
その時その時で その時出た症状に対処していく道を
とろうかと、かかりつけの担当医と相談していた。

が、日に日に、考えは変わり
何かすがれる道はないのか、
このまま症状が出るまで、ニラを見つめてゆくということは
ただただ不安で涙が出るだけで、
せっかくニラと凄してるのに無駄な時間が流れているように思えた。

大学病院受診
血液検査、全身のレントゲンと超音波検査
全て、良好な状態で、異常なところはどこにも
見当たらなかった。
今 検査しうる中で見た結果、身体の中は全てがキレイな状態らしい。

たぶんリンパ腫ではないと思われるとのこと。
が、チミジンキナーゼが高いのは事実なので
大学病院でもチミジンキナーゼ検査をしたらしい。
その結果は再来週出ることになっている。


随分。間があいてしまったが、
チミジンキナーゼ検査を止めた。
数値に踊らされて
無駄な日々を過ごしてしまってると感じたため。



2013年12月15日
右腕の脇に大きなしこりが出来てることに
トリマーさんが気づいてくれた。

大きいけれど、わかりづらいしこりだ。
大き過ぎて、身体の一部かと思ってしまう。
容積的にはチュッパチャプスくらいありそうだ。

以前、膝に出来た悪性腫瘍を切って下さった先生の予約をとった。


12月20日
やはり、脂肪とか膿ではなく腫瘍だった。
細胞の一部を針でとって
顕微鏡で見たところ
先生の初見では
「極めて悪いものである可能性が高い」とのこと。
確かに素人目から見ても
明らかに異常な細胞の核がたくさん点在している。

とった細胞を病理検査に出すことになった。
その結果は10日後くらいに出る。

以前、膝に出来た悪性腫瘍のように皮膚の表面に出来たものではなく
今回は、筋肉の中に入り込んで出来ている。

なので、切除する時 最悪 右腕切断することになるかもしれないとのこと。

奇しくもこの日はネギの命日



12月28日
右前足を断脚することに決断
そうする他はないと思いました。

高度医療センターでやってもらった検査は
まず、右腕の腫瘍が本当に肥満細胞種であるかどうか
細胞をとって調べる。

転移してないか、内蔵のエコーをとる。

肝臓、脾臓に針を入れて、細胞をとり
転移してないかみる。

というものでした。


内蔵に転移してるようだったら
腕を切ったところで、意味はあまりないので
断脚はせずに、薬物療法にする。

内蔵に転移がないようだったら、
断脚した方が良い。

ということ。

結果、転移は認められなかった。
が、にんの腕に出来てる腫瘍が、かなり進行の早いものであり、
転移してないのは、まだ初期だからということ。
転移は早いだろうと予想され
切るなら早い方が良い。

これらのことから
もう「切る」しか結論が出ませんでした。

ちなみに、肥満細胞種が手足に出来たら必ずしも
断脚しなければならないわけではないそうです。

例えば、にんの肥満細胞腫が背中とか おしりとかに出来たものなら
そこを広範囲に切除すればよく

また にんのように 筋肉の中にまでしこりが
入ってしまってる場合も
大型犬であれば、
筋肉も大きいので 上の筋肉1枚を切れば済み
断脚までする必要がないこともあるそうです。

にんには「切る」という結論しか出ませんでした。


切ると決めたら、早ければ早いほどよいと言われました。

『ここ(高度医療センター)だと一番早くて来年1月2日なので
かかりつけの病院でもっと早く手術の予定を入れてもらえるなら
早い方を選んだほうが良い』

『今、そっちの病院(かかりつけ)に電話かけて、予定を聞いてみて
 こっちのほうが早ければここでやるし、そっちのほうが早ければ
 そっちでやった方がいいでしょう』

早くって、そんなに早く?!!
とビックリしましたが

そんなに急がないといけないんだ!と焦りの気持ちも出てきました。

かかりつけの病院にギリギリ、年内中に入れてもらえました。

執刀医は、以前も膝にできた悪性腫瘍(肥満細胞腫ではない)を
切除してくださった
院長先生です。



12月31日
断脚手術 (ついでに歯石除去と抜歯もして頂きました)

手術時間は およそ2時間45分

手術が終わって連絡をもらい 遠くから見る事ができました。
まだ 意識が朦朧としていてグッタリ寝ていました。



2014年1月1日
面会にいくと、
意識は既にはっきりしおり
三本になってしまった足でも
歩いて、私の方に来ようとします。

手術中の麻酔のチューブのせいか
変な呼吸音がしました。


1月3日
毎日、朝昼晩合計6時間くらい面会しているので
にんが後追いして ずっと泣いてるらしく
安静にできないので
面会を控えてほしいと先生の方からお話が。
会えなくなることに涙が出てきましたが
その翌日には退院できることになりました。


1月4日
退院しました。

しばらくは普通に過ごしてましたが
1週間ほど経った頃
急に ビックリしたように「ぎゃん!」といって
飛び起きることが一日数回 あるようになりました。

腰に負担がかかって痛みがあるんだろうと
診断されましたが

なんとなく私的には
静かに寝ているのに急にビックリして飛び起きて
私に救いを求めてくる姿を見ていると
何か、なくなった右腕のせいなんじゃないかな?と
推測しておりました。

が、一週間もたつと、
その現象もなくなりました。



3月18日
術後、初めてのエコー検査をしました。

脾臓に、6mmくらいの何かが出来ているようでした。
それが腫瘍なのか他のものなのか、
また、腫瘍だとしても腕にできたものと同じ肥満細胞腫なのかは
エコーでは分かりません。

CTやMRIでも分かりません。
針検しかないですが、針検では
危険な検査のわりに 断定できる結果は得られません。

とりあえず一ヶ月後に もう一度エコー検査をしてもらい
大きくなっているようだったら
腫瘍と考えて
脾臓の摘出手術も視野に入れる事になります。

おおきな手術をして、腕を失ったばかりなのに
不憫でなりません。

ちなみに、エコー検査は、画像専門医の方が見てくださるので
普通では見つけれない小さい物も見つけてもらうことが出来ました。
それはありがたいと思っています。



4月22日
エコー検査の結果、
前回と同じく6mm程度の何かが脾臓にある。

悪性腫瘍の場合は、モヤモヤ写ることが多いので
悪性の可能性は高くはない
とのこと。
そうであってほしいです。



6月10日
エコー検査
前回にひきつづき、脾臓に何かある。
が、大きさに変わりなし。

左手付け根の おできのようなものも
大きさに変わりなし。



8月15日
脾臓の何かは小さくなっていたが(3mm)
エコー検査は向きによっては
大きさも違いが出てくるので
大きさに変わり無しという結果となった。

左手付け根の おできのようなものも
大きさに変わりなし。




9月16日
心臓の検査(聴診、超音波。心電図、レントゲン)
聴診器で聞きとれるような雑音はないが

超音波で見ると
極わずかであるが、逆流が見られる。

薬を飲む程ではいないが
以前より はやめはやめの処方を希望していたため
この日より
にんもフォルテコールを一日一回2分の1錠 服用することにした。




12月24日
心臓のエコー レントゲン 心電図 の検査

逆流はわずかで前回と変わっていないが(エコー検査)
レントゲンでは
心臓自体は標準の大きさだが、
左心房が微妙に大きくなっている

心電図でも 不整脈が前回より増えているようだった

心臓を休める薬(アーチスト)を微量から始めることに




12月25日
24時間心電図測定(ホルター)装着




2015年
9月15日 肝臓に肥満細胞腫転移 
     3センチほどのものが二つと それより小さいものが一つ

  16日 副作用の少ない抗がん剤注射


  19日 食欲もなくなり
     水便 5回
     ぐったりしてハーハーいっている
     強制給餌開始


  20日 やっと抗がん剤が切れてきて
     副作用がなくなったと 少し安心
    
  22日 息が荒くなり、一睡もしない状態になる
     朝に入院


余談ですが、にんの肥満細胞腫が再発して抗がん剤を
始めてから、私の体重も一気に8キロ減り
フラフラの状態で
なんとか周りに助けられながら、にんの闘病生活を続けられました。

  23日 分子標的薬開始(にんの肥満細胞腫には有効と
             前足を切断して、検査に出した時点で
             わかっていた)
       なぜ、それを最初にやらなかったのか?後で悔やむ

分子標的薬が劇的に効いてくれて
一時は あと一個くらいになった肥満細胞腫


が、12月になると、
また 新たに出来始め
にんの元気もなくなっていった。


2016年 2月23日  私の腕の中で旅立った。
          本当に眠るように・・・
          ずっと抱っこしていたにもかかわらず
          息を引き取ったことに気付かないくらい。
          頭がガクンとなって、初めて旅立ったことを
          認めた感じでした。


     最期の最期まで、わたしにべったりくっついたまま
     逝ってしまった にん。
     にんらしいです。

     私は、その日から、何も怖くなくなりました。
     これ以上の悲しみは私にはないから。

     にんはこれまで受けた苦痛を伴う検査を思えば
     どんな検査にも耐えられるし治療に耐えられます。

     そして、どんな不幸が起きても
     どうせにんは もういなんだ と思うと
     どんなことでも受止められます。

     ソウルメイトというものが本当にあるのなら
     たぶん にんがそうだったんだと思います。




     享年13歳と5ヶ月
     なしゃんといっしょに14歳をお祝いしたかった