アイツと初めて逢ったときの印象は、
「運が悪いヤツ」
次は「変なヤツ」
だった。
*君は魔法使いBoy's Side*
そのとき俺はすこぶる機嫌が悪かった。
放課後の音楽室、吹奏楽部が活動してないのを見計らってピアノを拝借するのもすっかり「名物」になっていた。
今では興味本位の招かれざる客が後を絶たず、それを追い払うのに労力を費やさねばならなかった。
ただでさえピアノを弾けば弾くほどむしゃくしゃするのに、無駄な労力を奪われては俺の短気にも拍車がかかるというものだ。
それは仕方がない。
運が悪いことに、窓越しに目が合ったアイツは、本日すでに3組目の招かれざる客だった。
俺のイライラもピークだった。
急激に何もかも嫌になり、乱暴に鍵盤をたたきつけると、廊下に出てその客と対峙した。
特記することも思い浮かばない、地味で平凡な女だった。
身長も平均、見た目も十人並み。飾り気も化粧気もない。
俺に睨まれておびえているのか、あからさまに腰が引けている。
だからといって、俺から目をそらすわけでも逃げ出すわけでもない。
……変な女。
「何か用?」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
別に第一印象に気を配る相手でもない。
「いいえ、特に……。ピアノの音が聞こえたので」
設楽先輩、と見ず知らずの女から名前を呼ばれ、俺は率直に嫌悪感を露にした。
こいつも、無遠慮に俺の領域に踏み込んでくる輩の一人ってわけか。
「お前誰」
興味があったわけじゃないし覚える気もないが、一方的に知られてるのも癪に障る。
びくびくしながらも、そいつは名乗った。
「1年後輩の、野田、萌、です。手芸部です……」
のだめぐみ。
「知らない」
そして興味もない。
「あー、ですよねー」
半分なみだ目になりながら、そいつは肩を落とした。
それで会話は終わりかと思われたが、結構なずうずうしさでそいつは続ける。
「きれいな曲ですね」
お前に何がわかる。別にそいつに恨みがあるわけじゃないが、とにかく俺はそのときイライラしていた。
そいつに対して、嘲るような、どす黒い感情がわいてきた。
「好きなのか?」
俺は大嫌いだ。この曲も、この曲から、ピアノから逃げ切れない俺自身も。
お前に何がわかる。
「好き、というか……。ごめんなさい、私疎くて、本当はよくわからないんです。
でも、きれいだな、ちょっとさびしげだな、とは思います」
ちょっと意外な反応だった。意図せずして、きょとんとしてしまう。
知ったかぶりをされたり社交辞令を並べ立てられるより、わからないと言われたほうがまだましだ。
「……ド素人の感想だな」
「う……」
再び、ずーんと落ち込むそぶりを見せる、そいつ。しかしまだめげなかった。
「設楽先輩は、好きなんですか?」
好き?
好き、というか……。
もうそんな言葉では表しきれない段階になってしまっている。
いまさらそんなことをきかれても、わからない。
「俺は、弾けば弾くほど嫌になる」
初対面の相手を前に、つい、本音が漏れるなんて、初めてのことだった。
はき捨て、俺は、内心ひどく動揺していた。
先に目を逸らしたのは俺のほうだった。
「えっ?じゃあ、何で……」
ピアノを弾くんですか?と続きそうなところを、ギロリと睨みつけることで制止する。
どうして俺がこんなヤツ相手に惑わされなければならないんだ。
「じゃ」
また別のイライラが加わって、俺はその場を早く切り抜けようとした。
きびすを返した俺の背中に、またしても声がかけられる。
「あっ、先輩! 音楽室の施錠!」
ピタッ。音楽室の管理人、氷室先生の許可は得て使用しているとはいえ、
さすがに施錠せずに帰ったらまずいことは煮えくり返った俺の頭でもわかった。
「私も家庭科室の鍵を返却するところなんです。一緒に行きましょう!」
何なんだ、この状況は、いったい。
夕暮れに染まる廊下を、一つ後輩の女子と並んで歩いた。
別に一緒に行く必要もないし、鍵を押し付けることもできた。
なぜ、そうしなかったのか。なぜ。
職員室に向かう途中、そいつは沈黙を怖がるみたいに、やたらとしゃべり続けた。
俺が聞いていようがいまいが関係ないみたいだった。
そして、決して、俺にピアノの話をふってくることはなかった。
俺が、嫌になる、なんて言ったのを気にして、だろうか。
変なヤツ。とにかく、そいつは変なヤツだった。
「名前」
「はい?」
職員室に鍵を返し終わったときには、何だか二人して疲れ果てていた。気疲れ、ってやつだ。多分。
「名前、なんていった」
「はぁ。野田萌です」
のだめぐみ。なぜだかわからないけれど、俺はその名前を数回反芻した。
予感がした。多分、この名前は覚えるべき名前だろうと。
それはものすごくごくまれな出来事だったのは言うまでもない。
「ふぅん。覚えた」
「えっ?」
「じゃ」
今度こそ、俺はきびすを返して彼女に背を向けた。
背中越しに彼女の一生懸命な声が聞こえた。
「あ、はい!さよなら設楽先輩!また明日!」
また明日。
あんなにびくびくしておきながら、またこいつは俺に会う気でいるのか。
変なヤツ。本当に、変なヤツ。
彼女の声を背中に浴びながら、俺は自分が笑っていることに気がついてひどく動揺した。
あの日、初めてお前に会ったとき、俺は
そのまっすぐな言葉が胸を打つ理由がわかる魔法が使えたらいいと思ったんだ。
俺は魔法使いじゃないが、
お前は多分あのときから、俺の魔法使いだった。
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あとがき
ものすごく難産だった設楽×バンビ出会いエピソード設楽先輩サイド。
ちなみにバンビサイドもあるのですが、そちらがまだ書ききれてなかったりします。あう。
設楽先輩。大好きなのに。大好きなのにー!何か書ききれません。文才のなさがにくい。
ちなみに。
対設楽先輩バンビにだけ詳細に設定があります。
野田めぐみ、副題「バンビ・カンタービレ」(笑)
流行と魅力パラが高めな手芸部の女の子です。設楽×バンビの小説ではその設定で書いていきます