現在、中学2年の娘は非行行為こそ無いが近頃は門限19時を過ぎても帰宅しないどころか電車の乗り方に慣れてきたこともあり、行き先を告げずに都内へ行くことが増えた。

 

通学も公立中学校に通っているが自ら早起きをして徒歩で通うのではなく、朝はギリギリに起床しても身だしなみを整えることに時間をかけて急ぐ様子もない。

私が小学生の息子を送る車に便乗するのが日常化されて、だらしなさや物事の優先順位等で車内で口うるさくなることもしばしば。

そんな日々が続く中、私も感情的になる事が増え、輩のように怒鳴り散らし、二人の頑固な性格も相まって次第に会話もなくなった。そして溝は深まるばかり。。。

 

最近、最も不安を覚えたことは位置情報が新宿歌舞伎町を指していた時だった。

帰宅後には誰と一緒だったのか等は一切話してくれなかった。

得た情報は、「新宿でしかやっていない映画があった」というもの。(真偽不明)

私は関東民族ではなく田舎出身のなんちゃって関東民族の為、都内へ行くなんて迷子確定。

昔は旅行で行った場所にも今では行けない。若さって凄かったんだね!

 

今日は子育て娘編。過去を振り返ってみようと思う。

 

娘の性格

幼い頃から我の強い子だった。

1歳過ぎて利用した託児所では

「他の子は抱っこしてなだめると泣き止むのに〇〇(娘)は何をしても何時間でも泣き止まない」

と言われたほどだ。泣き方もギャン泣きというやつである。

 

実際の子育てにおいては日常的にこれが続くのだから、ストレスで精神的におかしくなりそう。

虐待を疑われてしまうのではないかと周囲の目も気になる

それでも何をしたって泣きやまない。

誰も何も知らないくせにそんな目で見てるでしょ!

なんて、周囲を敵だと感じていたことから、やはりあの頃はおかしくなっていたかもしれない。

 

幼稚園の頃も、娘は活発で可愛らしかった。

幼稚園が大好きで、お迎えに行っても延長保育がいい!と言って、お迎えに行く度にいつも追加料金が発生していた。

帰る時間を言い聞かせても受け入れず、お迎えの後に更に公園で遊び、こっちの都合なんてお構いなしの子どもらしい子どもだった。人見知りもせずに公園で見知らぬおじいさんと仲良くなり、

「この子は危ないよ。誰にでもついて行っちゃうから気を付けないと」

なんて忠告されたこともあった。

ただ、当時住んでいた環境に恵まれていただけで世の中本当に危険な地域はたくさんあるんだ。

そんな我が子も聞きたくない話や叱られて泣くときは

自分の泣き声で話が聞こえないようにする技を使う。

この姿には腹立たしくも感心したこともあった。

 

今なら好きなだけ泣けばいいさ。泣き止んだら話そう。

そう思えるが、当時はこちらとしても、

聞いて、ちょっと聞いて、泣いてないで聞いて?いい加減にしろ!

と、苛立つこともあった。

 

小学校1年生になると近所の2年生の子たちと下校するようになり、帰り道のコンビニで万引きをしたことがあった。

思いっきり引っ叩いた

帰宅後の父親が一緒に謝りに行ってくれた。

 

この頃は、父親の財布からお金を抜き取りお友達に奢っていた事もあり、とてもショックだった。

娘はいつも叱られるとヒステリックに泣き叫び、ご近所から虐待を疑われて通報されたこともあった。

ヒステリックな泣き方は、私の心臓に変な脈を打つようなストレスを与えた。

この泣き声から逃げるようにトイレに籠るとトイレのドアを執拗に叩きながら

「ママ、ごめんなさい!ママ、ごめんなさい!」と叫び続けるの。

外にはママが子どもを閉じ込めているように聞こえるわな。

そんなわけで、児童相談所の職員が来たことをきっかけに継続的に相談していく事となるはずだった。

 

小学校2年生になり、いつものように電話相談をすると、現場では担当が誰だかわからなくなっていた

相談内容は「本当は他人に話したくない恥の部分」でもある事を心のどこかで感じていたのに、

それでもこのままじゃダメだと思って意を決して相談してきたのに呆気なく梯子を外された

家庭の事情・悩み・恥を聞くだけ聞いた他人

 

事件になったら「緊急性を感じなかった」という。

人間だもの、追い詰められたら「突発的に」が起こりうる。

これだもの、子どもが被害者という事件になるわけだと納得。

お役所にはお役所の事情があるのだろうけど、この不信感と無意味さから児相を頼ることをやめた。

(あくまでも当時の私の気持ちには無意味だった)

別の件で利用していたら、頼りになる機関である。多分。

 

小学校低学年までの子育て備忘録・娘編として、ここに保存っと。