もうね、ほんとタイトル通り。

 

長男は、おとなしくて何を考えているのかわからなかった。

幼少期は、子どもらしくニコニコしながら車遊びバスを楽しんでいた。

でも、他の男の子よりは暴れたり騒いだりすることは無くて

外食やお出かけの時には《うちの子はおとなしくて良い子だなぁニコニコ

なんて思っていた。

 

その裏では大変な日常もあった。

 

当時3~4歳だったかな。唯一、遺糞症の症状が悩みの種だった。

 

トイレ下着には💩がついていたり、乗っていたりポーン

注意すると隠すようになり、部屋が臭くてサーチ探すと壁紙に拭っていたり、湯船に浮かんでいたりゲッソリ

タッパに中に入れてテレビの裏に隠してあったり…手に持って逃げたり(アラレちゃんでもうんち棒に刺してたぞチーン

 

コレに悩まされて、受診しても便秘と言われたりするだけで何の解決にもならなかった凝視

 

日常的に不潔な状態に、泣きながら後始末をしていた。

毎度毎度、汚さと掃除に追われて気が狂いそうだった。

私のストレスはメンタル崩壊状態だったと振り返る。

 

さて、そんな頃でも我が子のお遊戯会は楽しみにしていたワケで花

 

お遊戯会…男女で色分けした衣装でそれぞれのパートを務める

…はずが、息子はいつもピンク色の集団に混じった水色だった。

あぁ、間違えちゃったのね~w なんて、微笑ましくも見えていた。

 

それ以降の彼の変化

可愛い物好きで、サンタクロースからのプレゼントには

《プリキュアのキーボード》をお願いしていた。

 

日常の変化といえば、、

 

髪の毛を結んで登園することが増えた。

本人はニコニコ、私も髪の毛を結んでいく事を否定しなかった。

 

そんな日々の中、再びお遊戯会の時期になった。

いつものように登園すると、「男の子なんだから、お遊戯会の本番では髪の毛ほどいてね」

と先生に言われ、以来、本人も結んでほしいと言わなくなった。

 

髪の毛も結べない長さに切って、男の子として成長していた。

 

妹の誕生を機に、小児科の先生に改めて遺糞症について相談したところ

発達障害の検査を提案され、紹介状をもらってメンタルクリニックを受診した。

受診まで数か月かかってようやく広汎性と言われたが、当時の若い女医さんも

自信なさげに確定的には言えず「う~ん…」と、悩まし気だったことを覚えている。

もしかしたら、そういう診断時に悩ましげに言うようなマニュアルがあったのかも知れないけれど笑い泣き

 

何度か受診していたが次回予約を先延ばしにしたある日、気付けばクリニックが閉業していた凝視

遺糞症は治まっていたころではあるが、今度は夜驚症を発症していた。

私も乳飲み子と夜驚症を抱えて日々睡眠不足で判断力が低下していた時期だった真顔

 

そういえば、昔使っていたリボン髪ゴム等クシを見つけた時には

「これ、僕が女の子だった時のやつだ」スター

と言っていたのはこの頃だったかも。

それについて、何も考えていない私は

「○○、女の子だったの?そっかぁ~(かわいいなぁ~ニコニコ笑)」

なんて、ほんわかと答えただけだった。

 

そう。そんなこともあったけど、

今はしっかり男の子として育っているものだ。

そう思っていたんだ。

 

 

中学生になり、勉強はできないけれど出来ることをしていけばいい。

中学生になっても好きな子の話が1度も出てこなかった

「ママは別に男の子が好きでも良いんだよ」なんて言ったら笑ってくれた。

中2からの交友関係は良いものではなかった

それについて何度も話しても、結局は本人が嘘をついてでもその友達と遊ぶようになり

時にはお巡りさんのお世話にもなった。

何度も何度も親として正しい道へ導かねばと思い、話し合おうとしても

結局はこっちが言いたいことを言って、本人は何を聞いても言葉にできないのか黙っているだけ。

顔色にも反省や反発が見られないから壁に話しているようだった。

中3になると、言っても分からないのか、わかっていての反発なのか、挙句にアームカット等の自傷行為が始まった

この子は私と関わることが無理なんだと察した悲しい

 

高校生になり、無事に卒業できればいい。好きな道に進めばいい。

バイトをしたり、好きにさせているものの、

心配になり部屋をのぞくと血痕があったり

腕が傷だらけだから夏でも長袖を着るようになっていた。

アームカバーを何枚か買って半袖が着られるようにしたり、

困っていることがあったら言うように声をかけたりもした。

でも何も変わらなかった。

食事は部屋で食べるようになり、

登下校時や風呂トイレ以外は顔を見ることが無かった。

同じ家に住んでいるのに、彼にとって親になっていない自分が虚しかった。

 

専門学生になり、専門的な職業に就くならそれでいい。

内定が決まって、そこで少しずつ社会になじんでいけばいい。

 

そう思っていたものの、適応障害により離職。

改めて病院メンタルクリニックの受診に付き添った。

過去の広汎性発達障害と言われた時の検査結果も持って。

それから数か月は定期的に受信していたようだったが、

1年通わずに自主的に病院中断してアルバイトを始めた。

またしても何も変わらないまま。

 

アルバイトも幾つかを経て

ミックスバーかゲイバーか、おかまバー

詳細は話さないが、楽しいかと聞いたら楽しいと答えてくれた。

どうやら水商売かその辺に落ち着いているようだ。

 

男が好きでも、女が好きでも、両方好きでも別にいいのに。

 

20歳過ぎて数年、落ち着けた場所がそこにあるならば、

これまでのメンタルにおける事が繋がっているような気がした。

 

しかし、彼の腕の傷は

彼の苦しんだ心に応えられなかった私自身への

一生続く罪悪感、戒めになった

 

長男の心の犠牲を以てしても

長女への子育てに活かせていない私は

親になるべきではなかったのだろう。

 

こんな未来を知っていたなら

子どもを産もうなんて思わなかったか

こんな未来を知っていたなら

上手く心により添えていただろうか

 

タラレバになっても仕方ない

頭の中を整理して

残りの子育てをしていかなければ。

 

長男へ後悔の気持ちを向けても

何も変えられないけれど

自己満足に過ぎないことかもしれないけれど

 

ごめんね

 

いつも思っているよ。