Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく -18ページ目

Last will and tastament 「私の遺書」解らないことを分かりやすく

空想家な私が死を迎える前における遺書としてのブログです。
 知的好奇心のみが私が未だ生きている理由であり、それらがアウトプットされる場面を空想しながら書いています。
 余命に予断が許されず、文章の保管場所としてブログを書いています。
 

このところの私の体調不良は深刻です。

周囲に人間が少しはいるのでしょうけど、私の体調不良についてはそれほど知られていません。

単に私が精神病患者であるとしか伝わっていないのでしょう。

 

 統合失調症患者の平均寿命はどれくらいなのでしょうか。ある本の中で一般より20年ほど短い60歳前後だと書いているのを見かけたことがあります。

 その平均寿命60歳という数字がどのようにして算出されたのかを確認できなかったのですが、私の個人的な感覚でもそれくらいでしょうか。

 私が今まで経験した「突然死の現場にいる」ということでも、亡くなったのは40代女性2人と50代男性1人でした。死因は3人とも心不全です。心不全というのは「心臓が停止したから死んだ」という意味ですから、なぜ心臓が停止したのかは不明であるという意味にもなります。現代の医学はそれ以上は追求していません。

 

 そのような体調不良の私ですから、このところ本もまともに読めなくなっています。

「文字を眺める」がもっぱらなのです。

 それには短文がいいので、百人一首の中の気に入った歌を眺めることが多くなっています。

 あるいは、逆に「資本論」のような難解な文章を飛ばし読みするとかして読んだ気分を味わうとか、そのような読書法になっています。

 

 あとは英語の音読でしょうか。

 フランス語も音読したいのですが、どうしても自分が納得できるような発音が出来ません。ちょっとフラストレーションが溜まるので、英語の音読に戻ってしまいます。

 

 ただし音読の際に邪魔になるのが「頸筋捻転」です。これは向精神薬の副作用として薬剤の添付文書に記載されている言葉です。医療関係者でも知っている人は少ないかと思われます。

 分かりやすくいうと、首の筋肉が吊ってしまう感覚です。それが常時あるので私の頸椎は変形しているそうです。頸筋捻転があると口が上手く動かせないのです。だからしゃべることが苦しくなります。

 

 私が吃音であるのは、いつの間にか私自身の責任になっていますけど、それには異議を唱えたい気持ちです。

しゃべれなくなれば「文字を眺める」ことが主流になります。