世の中には、どうしてこう不条理なことが多いのかと思う。
神様に愛があるのならば、こんな悲惨なことは起こるはずはないだろうと。
しかし私たちは本当に、愛を幸せと感じているのだろうか。
愛のある生き方のひとつとして、どんな生き物も殺さないという教えがある。
さすがに、むやみに動いている生き物を殺そうとは思わないが、
蚊が飛んで来れば思わず両手で打ってしまうだろう。
ゴキブリが走ればスリッパで叩きつぶすだろう。
そこに何の心の痛みも感じないに違いない。
しかし、蚊やゴキブリならば殺してもよいという道理は人間が
勝手に考えたことであって、何の根拠もない。
私たちは必ずしも、愛を幸せと感じてはいないのではないだろうか。
何を幸せと感じるのかというと、「快楽」である。
人生には快楽と苦痛が両方出てきて、大きな成功があれば必ず
大きな困難を乗り越える必要がある。
本能的には快楽だけを多くして、苦痛は少なくしたいと思うものだ。
だから病気や死に対して「不幸」という感じ方をする。
しかし、本来は快楽と苦痛には「幸せ」と「不幸」の差はない。
蚊やゴキブリの話と同じで人間が勝手に決めただけのものである。
苦しみや悲しみを感じるのは当然だ。
でもそれは「不幸」とは違うのである。
自然災害に罪がないのと同じで、出来事にも罪はない。
人間が勝手に恨む。
恨みの中にいるうちは「不幸」しか見えない。
しかし、恨みを乗り越えたところに快楽とは違う「愛」が見えるのではないか。
私もまだ乗り越えてはいないが、「愛」を知るために生きたいと思う。