夜も更けて、そろそろ日付けが変わろうかという頃、俺はようやくその日の労働を終えて、端末にタイムカードをかざした。


 ピロン、と軽い音が響いて機械的な声が淡々と告げる。

「お疲れさまでした。明日の分の酸素供給を承認しました」

 やれやれと俺は息をつく。これで明日も生き延びられる。

 急いで風呂に入り適当にレトルトで飯を済ませ、少しでも睡眠時間を確保するために布団に潜り、通帳アプリを開いた。

 電気、水道、その他諸々、諸経費が差し引かれ、残高は雀の涙だ。だがそれは何とかなる。多少供給が滞っても我慢すれば済む。

 ただ。酸素だけは。

 ああ、でも。

 ここのところ節約のために太陽を浴びてないな、と思うと気分が沈む。しかし、これ以上残業をする余裕はない。

 でも長期間日の光を浴びないと、労働にも悪影響を及ぼすだろう。そうなると本末転倒だ。どこかで調整しないと。

 とりあえず頭の隅に置いておいて、早々に眠ることにする。寝不足は明日の労働に差し支える。


 政府がすべての資源に労働を課すと発表してから、休みは一切取れなくなった。娯楽や趣味に興じる暇などない、ただただ明日の酸素を得るために必死だ。

(金があるやつはいいよなぁ)

 当然のように資源を買うことも出来るため、裕福な者は金にものを言わせて何十年分の酸素を購入し、何不自由ない生活を続けている。

 でも、俺みたいに元々その日を暮らすのに精一杯だった人間は、まさに文字通り生きるためだけに働く日々だ。

 何のために生きているんだろう。

 時々、いや、しょっちゅう考えてしまうが、答えなどない。

 金があるなしで不公平だとは思うが、同時に反省もしている。

 空気や太陽に、対価を払うなどと考えたことなどなかったからだ。

 本当に。

 ただで手に入ったものにお金を払うなんて、と不満の声も上がったし、各地でデモも起こっているが、逆にいうと、対価を払わなくても充満している空気や、多少気候の変動はあれど、分け隔てなく降り注いでくれていた太陽に、感謝などしたことはなかった。

 人間として肉体を持って生まれてきたから当たり前ではないのだと、思い知らされたのだ。

 ああ、思いきり息をしたいな。

 青空の下、日向ぼっこでもしたい。

 これが夢だったらどんなにいいだろう、明日の朝目覚めたら普通に朝日を浴びて息を吸える生活に戻っていますように、と。

 祈るような気持ちで眠りについた。



     fin