今や一般社会に確固たる市民権を得たかに見えるオタクという存在。
でもね、昔のオタクっていうのは今みたいな堂々とした存在じゃなかった訳ですよ。

例えば、学校で「機動戦士ガンダム・めぐりあい宇宙編」の下敷きを友達に見つかったり
するとします。万が一これが女子なんかに発見されて、ソコをツッコまれたり
した日には

「あっ、あっ、こここ、こ、これは映画みた友達がくれたものだから。いらない
って言うからもらっただけなんだから。ガンダムが好きってことじゃないんだからねっ!」

という感じで大慌てするのが、オタク中高生の一般的な反応でした。
かなり偏った考え方かもしれませんが、私は当時みながそうだったと固く信じています。

そうした日陰者的存在である昭和のオタクが、今40代、50代を迎えています。
初老とも言うべき年齢を迎えた彼らにとって、そして私にとって、年をとるということは
どういう意味を持つのでしょう。

世間様から見れば、40、50はもう立派すぎるほどの大人です。
しかし私自身から見れば、どうも精神的にはあの中高生時代から成長しているようには
思えないのです。

毎日のようにPCと携帯ゲーム機でゲーム三昧。
暇を見ては漫画喫茶でマンガ三昧。
ジブリのアニメを見ては毎回のように滂沱の如き涙。

シャイで、恥ずかしがり屋で、人見知りだったオタク少年が、醜くたるんだ40代の体に
相変わらず居座っている気がして仕方ないのです。
こんなことでいいんでしょうか?

もちろんいいわけありません。
年をとるということは社会人となり生産者となり夫となり親となることなのですから...
でも、昭和のオタクたちはどうも上手く年をとることが出来ていない気がするのです。

次回、そこらへんをもうちょっと掘り下げてみたいと思います。