生きているのは、大人だけですか。
監督・脚本・編集・プロデューサー:是枝裕和
撮影:山崎裕
録音:弦巻裕
美術:磯見俊裕/三ツ松けいこ
音楽:ゴンチチ
出演:柳楽優弥/北浦愛/木村飛影/清水萌々子/韓英恵/YOUほか
ストーリー
トラックからアパートに荷物が運び込まれてゆく。引っ越してきたのは母けい子(YOU)と明(柳楽優弥)、京子(北浦愛)、茂(木村飛影)、ゆき(清水萌々子)の4人の子供たち。だが、大家には父親が海外赴任中のため母と長男だけの二人暮らしだと嘘をついている。母子家庭で4人も子供がいると知られれば、またこの家も追い出されかねないからだ。その夜の食卓で母は子供たちに「大きな声で騒がない」「ベランダや外に出ない」という新しい家でのルールを言い聞かせた。
子供たちの父親はみな別々で、学校に通ったこともない。それでも母がデパートで働き、12歳の明が母親代わりに家事をすることで、家族5人は彼らなりに幸せな毎日を過ごしていた。そんなある日、母は明に「今、好きな人がいるの」と告げる。今度こそ結婚することになれば、もっと大きな家にみんな一緒に住んで、学校にも行けるようになるから、と。
ある晩遅くに酔って帰ってきた母は、突然それぞれの父親の話を始める。楽しそうな母親の様子に、寝ているところを起こされた子供たちも自然と顔がほころんでゆく。だが翌朝になると母の姿は消えていて、代わりに20万円の現金と「お母さんはしばらく留守にします。京子、茂、ゆきをよろしくね」と明に宛てたメモが残されていた。
この日から、誰にも知られることのない4人の子供たちだけの"漂流生活"が始まった。
(公式サイトより)
子供が子供でいられた瞬間を描いた映画 感・想・文・FRAGILE
「子供とは自然である。」
これは、養老孟司さんの書かれた本に何度も出てくる言葉です。
自然というのは、思い通りにならず、理不尽で不条理で不気味で恐い。
また、神秘的で純粋で美しくもある。自然の持つ両義性。
都会に住んでいると、目に映るものはすべて人工物。
キレイな花や木も、誰かが考えてそこに植えたもの。
虫が部屋の中にいれば慌てふためく。
都会にあるものは、すべて、誰かの頭の中にあったもの。
そう考えると、閉塞感を感じるのも当然で、息苦しくもなる。
誰かの頭の中から飛び出したくなる。
だから、僕は空を見上げるのかもしれない。
息苦しくなると空や海や山なんかを見たくなる。
そうした自然は誰かの頭の中にあったものではないから
現代社会は、自然を排除して成り立っている人工社会。
その社会に適応するには、自分自身も自然性を消して、人工物化していくしかない。
人工物化した存在が大人といえる。
とはいえ、大人になれば、自然性が消えるわけではない。
自然性をコントロールしたりして見えなくしているだけだ。
病気になったり、死と出会ったり、うまくいかなくなったり、年を重ねていくと、嫌でも自分が自然な存在だと思い知る。
空を見ていると、僕自身の自然性をふと思い出す。
都会で生きていると、当たり前のことを忘れてしまう。
都会で生きるには、そんなことは忘れていた方がうまく生きれるから。僕自身は、東京という場所でありながら、自然環境に恵まれた場所で生まれ育った。
子供たちだけの世界をつくり、秘密基地をつくった。毎日毎日、遊び方は自分たちで考えた。
日が暮れるまで遊んだ。
大人には言えないことをたくさんした。今考えれば残酷なこともしたし、いろんな人に迷惑もかけた。よく怒られたり叱られた。
危険なこともいっぱいあって、大ケガもあった。今もその痕は残っている。
そういう意味で、思いっきり子供でいられた気がする。自然な場所の中で子供と言う自然な存在でいられた。
いまの子供の多くは、人工物だらけの社会で、情報化された社会で、孤島化した家庭内で、ありとあらゆるものが用意され、管理され、早く大人になれと言われながら生きているように見える。
この社会で、子供は子供(=自然)でいられるだろうか。
つまりは、子供は生きているだろうか。
それが、「誰も知らない」という映画の本質的なテーマではないかと僕は思った。
実際に起きた巣鴨の事件をモチーフとしていることもあり、映画を見る際に、育児放棄をした母親に憤りを覚えるだろうと思ったけれど、YOUの演じる母親は憎めないような演出がされていて、用意していた憤りの感情は放置することになった。
もちろん、育児放棄したことはとうてい許されない。だが、母親の身勝手さや無責任さに回収されないものを「誰も知らない」は描いているのではないかと感じたのだ。
映画では、親の不在、戸籍システムへの未登録、周囲の無関心、ガスも電気も水道も止められ、食べるものもない、そうした状況ゆえに子供が子供でいられる自然な世界があらわれる。
子供たちみんなで親のルールを破り、はじめて外に遊びに行く場面は、まぶしいくらい輝いている。
忘れられないシーンだ。
そして次の瞬間、その輝き(=子供が子供でいられる世界)が今の社会の中であらわれるには、こんなにも絶望的な状況が必要なのかと思い知り嘆息をつく。
もはや、自然なんてなくなったのだと思い知る。
あるのは管理された中の偽物の自然。
現代社会は大人だけの世界になっている。
人工物だらけの世界になっている。
子供が子供でいられる場所はあるのだろうか。
大人も子供もハダカになれる場所がこの社会にあるのだろうか。
「誰も知らない」は、子供も生きているということを大人に突きつける。
大人は社会を映し出し、子供は大人を映し出す。
「誰も知らない」は、誰も知らない存在の子供ゆえに今の社会にあらわれた“子供が子供でいられた瞬間の輝き”を映し出す。
その輝きは忘れられない。
その輝きがなくても、どんな社会でも、子供はたくましく生きるのかもしれない。
アスファルトに咲く花の様に。
それでも、やはり、子供が子供でいられた瞬間の輝きをわずかでも経験した大人になりきれないものとして、胸が痛む。
是枝監督を意識した作品であり、打ちのめされた作品「誰も知らない」の紹介でした。
ちなみに三度観ています。
最後に映画の主題歌の「宝石」を紹介します。
コンビニの店員・宮嶋さなえ役で出演しているタテタカコさんが歌ってます。
宝石
作詞・作曲:タテタカコ
真夜中の空に問いかけてみても
ただ星が輝くだけ
心から溶けだした黒い湖へと
流されていくだけ
もう一度天使はボクにふりむくかい?
僕の心で水浴びするかい?
やがてくる冬の風に波が揺られて
闇の中へぼくを誘う
氷のように枯れた瞳で
僕は大きくなっていく
だれもよせつけられない
異臭を放った宝石
心からしみでた黒い空に
今夜も星は輝くだけ
やがてくる春の光
息を吸い込んだ
氷のように枯れた瞳で
僕は大きくなっていく
だれもよせつけられない
異臭を放った宝石
追記。
明日から第23回東京国際映画祭が始まりますが、僕の注目作品はなんといっても大好きな監督デビット・フィンチャーの「ソーシャルネットワーク」です。予告編観ただけで鳥肌立ちまくりでゾクゾクしました。
ちなみにデビット・フィンチャー監督作品には、「セブン」「ゲーム」「ファイトクラブ」「ゾディアック」「ベンジャミン・バトン」などがあります。
「ソーシャルネットワーク」の日本公開は来年の一月らしいです。
楽しみだ!!
予告編をサイドバーに貼ってあるのでご覧ください。