後輩からの一本の電話。
「真戸原さん、沖縄に行かないですか?」
大阪時代バンドをしていた後輩が今はイベンターとして仕事をしていて、「アンダーグラフに是非出て欲しいイベントが沖縄であります。」と。
「勿論!」その日から、待ちわびていた沖縄。
高校の修学旅行の時以来、17年ぶりの沖縄。
今回の旅はメンバー、そしていつもお世話になっているサポートのメンバーやスタッフを、
アンダーグラフのLIVEとして沖縄に連れていける事がとても嬉しかった。
自らレンタカーを手配し、色んな人に沖縄の観光場所、ご飯屋さんを聞き、前持ってインターネットでエメラルドグリーンの海が見える離島を探し、
みんなに楽しんでもらおうと決めた旅立った。
詳細はとおるさんのブログを見てくれたらわかるので、
ここではそれを省き、
僕が感じた沖縄をここに書きたいと思う。
僕が沖縄を始めて意識したのは、多分小学一年生ぐらいの時。
両親が鹿児島出身ということもあるのだろうか、真戸原家の食卓には、時々ゴーヤが並び、おやつにさとうきびが何故か出る時もあった。
苦くて不思議な形をした野菜、かじるのが大変なのに、駄菓子屋で売っているお菓子より甘くはない竹の様なものが沢山ある場所。
それが沖縄の最初の知識でした。
4年生ぐらいになって、高校野球の歴史を振り返る本を小学校の図書館で
何度もその本を読み、沖縄の高校が甲子園に出場したのに、甲子園の土を持って帰れなかった話も知った。
高校生になり、修学旅行の為に学んだ沖縄の様々な歴史。
17年ぶりの沖縄は、あの時感じる事が出来なかった色んな事を僕に教えてくれた。
音楽が街を包んでいる事。
沖縄の人達には、生まれ持って音楽が染み付いていて、歴史だし、生活だし、文化となっている事。
優しく、挨拶をしてくれるだけじゃなく、笑顔で挨拶をしてくれる事。
もてなしの心が自然と心の中に生きている事。
みんな明るくていい人ばかりで、話すのが大好きで、笑うのが大好きな事。
どうしてこんなに自然と笑えるんだろう、どうしてこんなに心穏やか何だろう。
東京にだって、大阪にだって、優しい人はいるし、笑顔の人は沢山いる。
だけど、何かが圧倒的に違っていた。
そんな事ばかり考えていて、FM沖縄の人に話を聞くと、
「沖縄の持つ歴史として、自分達だけでは生き残っていけないという時代があったり、沢山の悲しい歴史を乗り越えてきたという思いがそうなるんじゃないか」と教えてくれた。
全てそれが理由ではないかもしれないけど、こんなに優しい人達が沢山いる事に純粋に嬉しかった。
D51のゆうくんは、僕らが沖縄に来る事を知って、わざわざ東京から前のりで沖縄に入ってくれ、毎晩会いに来てくれた。
LIVEを観る人達はまるで、お祭りのようなのりで楽しんでくれていた。
ユビサキから世界を、そして、サンザシ。どんな風に届くかは演奏するまで不安だったのに、しっかりと届けさせてもらえた。
「東京で何か大切な事を忘れてしまっているんじゃないか、そもそも大阪でもこんな感情は持っていなかったんじゃないか」
そんな事を思わされる旅だった。
素晴らしき日本人の姿に沢山触れられた。
この旅を通して一番心に残っている事がある。
僕はあまりお城や武士の歴史に興味がなく、武士が統一した、とか、天下をとったとか。お城が立派だとかはあまり興味が沸かないほうだったが、
首里城を回っていたとき、ある情報をみつけた。
首里城のデザインで使われている龍は、中国のデザインを参考にしたらしく、中国の龍の爪は5本。
しかし、首里城の龍の爪は4本。中国に敬意を払い、1本少なくしてあるらしい。
僕はそういう考え方が好きだ。一本多くして
「どうだ、こっちのほうがすごいだろ」とはなっていない、その考え方がなんか格好良かった。
色んな事が起こる旅でしたが、間違いなく今年一番の思い出が出来た沖縄での旅でした。
またみんなで行けたらいいな。
真戸原