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「バンドヤロウゼ!」



当時まだポケベルしかなかったからこうやって自宅の電話から阿佐にメッセージを送った。




高校の間、あんまり連絡を取ってなかったが、毎年のように阿佐から年賀状が来て


「俺は待っているから何時でも言ってくれ」と書いてあった。



大学に入って、それなりに遊び、それなりに勉強はしてたが中々取り除けない空虚感があった。




自宅の電話がすぐになって



阿「やろうやろう。」



真「メンバーどうする?」



阿「今通っているスクールに女の子やけどめちゃ上手いドラム叩く子がいるけど会ってみる?」



スタジオに来たのは当時まだ中学生の谷口。



「受験に受かった」と喜んでいたのを今でも覚えている。




それから、のらりくらりと月1回ぐらいのペースでスタジオ入ったり、入らなかったり。


きっとメジャーデビューしようなんて誰も思ってなかっただろうし、楽しかったらそれでいいか、と。



そのまま1年ほど過ぎ、


阿「そろそろオリジナルの曲でもつくろうか。」


谷「じゃあライブ出来る所探さなくちゃだめやな。ライブハウスってどうやって出るんやろ?」


真「知り合いに城天ってただでストリート出来る所あるから聞いてみるわ。」



こんな感じで、大阪市内進出。



「デモテープ作ってワンマンしたいな。やるならメジャーもちゃんと考えて。」


「じゃあ、デモテープをお店においてもらおう。」


そこで働いてたのが中原。




ストリートを鬼のように週8回も9回もやって、無事ワンマンが決まった頃、前のベースが脱退。


真「あの中原くんって楽器屋の子バンドやる気あるかな?」


谷「ベース好きやけどバンドするかどうかわからんなー」


バンド活動は楽器を弾くだけじゃダメで、ビラを作ったり、デモテープをダビングしたり、機材を運んだり。



中「俺でいいの?他探そうか?」


別のベースも紹介してもらったが

中原のアタックの一定さにびっくりした。


正確なアタックの強さに「中原くんがいいね」とメンバーに引き入れた。





晴れて「UNDER GRAPH」結成。



結成後数ヶ月で東京進出を決めて出てきた。先輩のワンボックスを借りて入るだけの荷物を詰め込んで。



先輩の言葉「東京の方が早く結果が出る。ダメならダメですぐ帰って来い。」




友達と親と離れて男はバンド仲間と12人共同生活、谷口はお姉さんの家に転がり込んだ。



「スタジオ代と最小限の生活費以外はアルバイトで稼がない。」


これが唯一のルール。



音楽をするために東京に出てきたんだ。それ以外は必要ない。



みんなそう思って、毎日スタジオ、その後ストリート。そしてアルバイト。



谷口はアルバイトからスタジオの途中の電車の中で一度疲労で倒れた。


俺も夜勤明けのスタジオまでの行き道、自転車から疲労で転げ落ちた。


ライブをしても見に来てくれる人はほとんどいなくて、アルバイトで稼いだお金はチケットノルマの


マイナス分で消えた。




渋谷の西武前で2時間かけて機材を組み、音を出した瞬間に警察官に止められ肩を落として帰った。


新宿のビル前ではオーナーに水をまかれて退散。両手いっぱいに持ってきた機材を


そのまま持ってラッシュの山手線で帰った。



徹夜でデモテープをダビングして、買ったばかりのコンポはすぐに壊れた。



たまに飲むお酒は飲みすぎて道端や公園で寝たりもした。




そんな生活が約3年。





不思議と思うかもしれないけど、大阪に帰りたいな、と思うことはあっても、アンダーグラフを辞めたいなんて


思ったことはなかった。少なくとも俺は思わなかった。




少しずつだけど色んな人に出会うようになり、事務所というものに所属が決まった。


初めて自分達の音楽が電波に乗る。



その話を聞きメンバーみんなで車に集まりラジオをつけ、曲が流れるのを待っていた。


流れた時の嬉しさは本当に感動的だった。



阿佐とラーメンを食べているときインディーズ時代のhana-biraが有線から流れてきたときのこともよく覚えている。



マネージャーと毎晩のように語り、これからどういう道を進むべきかを話し合った。


ちらほらとメジャーデビューの話も来て焦る僕らに、当時のマネージャーは慎重だった。


「ちゃんとアルバムまで、長い目で見てくれる所じゃないとダメだ」と。




デビューが決まった時、嬉しくて嬉しくて親にも友達にも報告した。


「長かったな、おめでとう。ここからがまた勝負やな。」そう友達は言ってくれた。



デビューするだけじゃなく、なんとかみんなに聞いてもらえるバンドになりたい


そう思うようになっていた。



あんなにメジャーデビューしたかったのに、するときには違う目標があるもんだなと自分でも思った。



そこから、本当に本当に沢山のスタッフ、関係者、応援してくれるみんなに支えられての



ベストアルバム発売。



コンセプトなんてないです。



ただただ感謝を伝えたい。そしてまた前に進みたい。




改めて皆様ありがとう!





追伸 かなりの長文になりました。もっともっと色々あるんですが。いつか本にしたいな。


    真戸原直人