2011/02/25 日本経済新聞 春秋から


太平洋ベルト地帯とか四大工業地帯とかいった言葉が、さかんに使われた時代があった。高度成長期の、エネルギッシュな日本の光景とそれは重なり合う。関東から九州へ、地図上の太い帯は社会科教科書のなかでひときわ力強く見えた。


▼もっとも、公害をまき散らしながらの発展だったから政府も企業も対策に追われることになる。川崎や四日市の空はスモッグに覆われて街に異臭が漂い、北九州の洞海湾は工場廃液の垂れ流しで死の海と呼ばれた。そんな過去を思えば隔世の感というべきか。いま、工業地帯の景観を楽しむツアーが人気だという。


▼複雑怪奇にくねる石油コンビナートのパイプ、天をつく塔から噴出す青い炎、整然と並ぶ巨大なタンク群・・・・・・。生産のためだけに設(しつら)えがかって幻想的な美しさを醸し出し、とりわけ夜景はあちこちに名所もうまれるほどだ。さまざまな被害を教訓に、苦心して公害を克服したからこその工場観光ブームだろう。


▼先日は太平洋ベルト地帯の川崎、四日市、北九州に室蘭を加えた各市が「工場夜景サミット」を開いた。地域おこしに役立てようという狙いだが、外国にも売り込んでも日本の環境技術を知ってもらうといい。経済成長と公害は背中合わせ。伸び盛りの中国やインドにも、われらが工場夜景は道筋を教えるかもしれない。


>チョイ昔、といっても3年前になるが大阪の繁華街「北新地」での某バーにて

こんな会話を聞いた覚えがある。


「工場いいわ~、めっちゃ綺麗ねん」

 

  「はぁ~、何それ?」


「今度、○○行くねん!いいやろ~!」


  「はぁ~、誰と?」


「ん? 私一人やけど・・・」


  「はぁ~、何それ?」


「一人に決まってるやん!誰が深夜に工場を見に着いて来るねん?」


  「○○ちゃん、かわいいけど、言ってる事きもいわ~、オタクやん!!」


お客様とバーテンダーの会話。

お客様というのは仕事終わりで1日のストレスを発散しに一杯飲みに来ている「新地のお姉ちゃん」。


すでに3年前から知る人ぞ知るというかブームの兆しに僕は遭遇していた。


「写真集もあんねん!

   昨日こうてん! 

    見る?

     見たいやろ?」


  「・・・・・・・・・・・・」


当時、すでに工場の夜景ばかりの写真集もあったらしい・・・


綺麗なお姉さんを早くも虜にしていまっていた、工場夜景。その力は末恐ろしい(笑)


P.S. インドには少しくらい参考にしてくれれば、と期待しよう。中国は無理でしょ。むっ

もう、偉そうに言える立場じゃないとは思うんですけどね・・・

 

「ゲームセット!!」


優勝した。


とある小さな市が主催する草野球大会。

とはいっても参加チーム150チーム以上。甲子園を目指していた「つい最近まで高校生じゃん!」という若い選手のいるチームや、「動ける中年!、輝ける中年!」のおじさんチームなど年齢もレベルも多種多様。
このようにレベル感が違うチームでも試合ができる、対戦できるのが草野球のいいところであって、恐ろしいところ。でも楽しい。栄一はそう思っている。

栄一は今年で40歳になる「あまり動けなくなった中年」プレーヤー。

栄一の所属している草野球チーム「大津エンペラーズ」は創部30年の地元では古参チームとして有名。
選手の入れ替えにより強い時期、弱い時期があるももの廃部することなく長く続いてる。

「大津エンペラーズ」は秋の大会で優勝した。

初優勝だった。3位4位は達成しているが、決勝進出も初めてであり、そして、その決勝戦で勝ったのだ。

栄一は若い頃はもちろん主力で試合に出ていた。レギュラー選手だった。
しかし、月日の流れで当然、レギュラーから準レギュラー、そしてベンチウォーマー(補欠)に。
異論はない。上手な選手、若い選手が入ってくれば当然だと思っている。チームも強くなるのだから。

ここ2,3年、酒好きな栄一は体調も万全でなくほぼ補欠になってしまっていた。レギュラークラスの選手が仕事や家庭の都合で休みのときは変わりに栄一がゲームに出場していた。それくらいだった。

しかし、チームへの愛着は人一倍。なにせ創部当時を知っているチームの古株であり、生活の一部になっているから。
連盟への手続きや球場の確保。マイカーはチーム専用カーのよう、チームの道具を入れてあるガレージも栄一名義なのだから。

優勝はとても嬉しかった。
優勝したことはもちろん嬉しいのだが、栄一にとっては
選手不足によって存続できなくなったチームがたくさんあるご時世でここまで廃部、休部することなく続いているこのチームが誇らしかった。
このチームで野球を続けられていること、試合が出来ていることが嬉しかった。

優勝の景品として表彰状、トロフィー、ボール3ケース、缶ビール2ケース、スポーツバッグ。

若い選手たちはあまり興味ないのか
「よっかったすね」
「ちゃんと表彰状とかあるんですね」
「僕、酒、飲まないからビールいらないっす」
そして
「では、お疲れ様でした~」

昼間は暖かった秋の日曜も夕方になり少し冷えてきた。綺麗な夕日とはいかず雲が広がってきていた。

チームのメンバー数人で食事をすまし、自宅へと向かった。ガレージに着いた。

まず、車を入れ、そして隣の道具入れとなっているカレージへ荷物を降ろす。
ベースを降ろし、ボールを降ろし、トンボを降ろし、キャッチャー道具一式を降ろし、救急箱を降ろし、自分のバット、グローブ、スパイクの順で。いつものルーティーン。

しかし、今日はいつもより荷物が多い。そう、景品があるからだ。

新しい荷物はどこに置けばいいのかと場所を探しながら、手に持ったトロフィーに刻まれた文字を目で追っていた。
栄一はボールケースのカゴに腰をかけ、何度も何度も文字を読み、腕を伸ばしてはトロフィー全体を眺め、腕をたたんではまた文字を読み、今度は腕を少しひねりなが伸ばしてトロフィーを眺めた。

こんなことを繰り返しているうちに肌寒い風が入ってきた。
「小雨か」
こんなことを口に出し自分で笑った
「秋雨か 少しくらい濡れてもいいかっ よし飲もう!」


栄一は小雨と隙間風を感じるガレージで座り込んだ。

「でもこれはエンペラーズの長い歴史でも凄い事だよねー」

「優勝なんだもんな~、もう少し喜んでくれたたらいいのに。。。」

景品の缶ビールの箱をあけ、ひとつ取り出した。同時に2,3個飛び出しで、散らばっってしまったがおかまいなしで

「プッシュー」

長い夜が始まった。



  秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ
         わが衣手は 露にぬれつつ
                          天智天皇

 

2011/02/24 産経新聞 産経抄から


三島由紀夫、石原慎太郎、池田大作、小田実。この4人を評論家の大宅壮一が、「七〇年代に活躍しようなカリスマ的指導者の卵もしくはその幼虫」として紹介している(「文芸春秋」昭和45年1月号)。思想信条から生き方までバラバラな人選は、「無思想」を宣言していた人らしい。


▼もっとも、さすがの大宅もその年の11月22日に70年の生涯を終え、されに3日後、三島が東京・市谷の自衛隊駐屯地で自決するとは、予想できなかった。反戦市民運動をリードした小田は、4年前に亡くなっている。池田氏は名誉会長を務める創価学会の外では、動静を聞かなくなって久しい。


▼41年後「現役」を続けているのは、78歳の石原・東京都知事一人になった。その周辺が、都知事選を前にますます騒がしい。先週の毎日新聞が、1面トップで「石原氏出馬の方向」と伝えたと思ったら、きのうの小紙によれば、「4戦不出馬」だ。


▼本人が明言していない以上、門外漢は推測するしかない。最近の発言や小紙連載の「日本よ」からは、民主党政権下の1年半で、劣化が進んだ日本に対する危機感がほとばしっている。「国政復帰」は十分あり得ると思う。


▼大宅は、石原が「太陽の季節」で、文壇に鮮烈なデビューを果たしたときから注目し、「太陽族」の新語を造っている。ただ300万票という驚異的な票を得て、参院議員となった当時は、「保守政党内の変わりダネ」で終わってしまわないかと、心配していた。


▼カリスマ的指導者の「成虫」として、石原氏の長年の活躍を振り返れば、どうやら大宅の杞憂(きゆう)だったようだ。しかし、憂国の政治家としての歴史的評価は、次なる行動にかかっている。



>石原慎太郎に国政復帰の意思はあるのだろうか・・・

記者の期待・妄想なのだろうか・・・

石原さんの強引さ頑固さはまさに「カリスマ的指導者」かもしれない。良し悪し、好き嫌いはあるが確かに「カリスマ」だと思う。期待してしまう。僕は好きだ!

しかし、もう石原さんは精力的に積極的に「日本」を動かそうとはしないのではないか。「今更動いても無駄!」そう思っていそうでならない。

それほどまでに今の日本は末期だと感じられる。

三島の云う「憂国」は若者が命を賭けてでも目指すもの、やるべきことを説いたが、それすら掲げることができず、無気力青年を生み出している平和な日本。誰が指導者となってくれるのでしょうか・・・



「わが友ヒトラー」でも見て来よう。みんな綺麗らしい。。。

http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_11_mishima.html