こんにちはー。

 

帯屋うなみです。

 

 

 

桃の季節ですね。

 

よく驚かれるんですが、

 

サクランボとイチジクとラフランスの3種を除き

バナナは普通に食べますが

 

私はフルーツが嫌いでw

 

でもフルールあんみつとかは大大大好物なので

 

写真の一品を反射的にオーダー。

 

 

 

 

このバニラアイスはアッサリしてるけど

 

薄味な感じがなくて

 

バニラアイスも嫌いなのに、とても美味しかったです。

 

 

 

いつまで食べられるのか、

 

そして毎日食べられるのか分からないけれどご紹介します。

 

渋谷のマメヒコで食べられます。

 

クリーム白玉桃寒天キラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、かなり温度差のある本題へw

 

 

実母が地元で一人暮らしているので

 

毎月数日、事務手続きや支払いの代理人などなどで

 

帰省していまして、

 

今月も帰省してきました。

 

 

 

 

毎回何かしら考えさせられることがあるんですけど

 

今回の帰省の中では

 

延命治療について考えさせられる事あがあったので

 

ここでシェアしたいと思います。

 

 

 

 

皆さんもご両親やご自身の将来を考える時の

 

参考になればと思います。

 

 

 

 

私の母は今、病院に住んでいて

 

おそらくそこが終の住処となると思うのですが、

 

元気な頃から「無駄な延命治療はしたくない」と言っていました。

 

自分で喋れないし動けない状態になってまでも

 

酸素の管に繋がれ、栄養の管に繋がれてまで生きる意味無い

 

って事だと思っていたので、

 

その時が来たらお医者さんにその旨伝えようと思って

 

心の準備はしていたのですが、

 

ジリジリと母の体力や食欲が落ちてきた状態を鑑みて

 

【急変時(看取り時)の対応について】

 

という書類を主治医の先生がくださいました。

 

 

 

写真の書類がそれなのですが、

 

書かれているものはつまり延命治療をどうするか、

 

という事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

つい先月まで私は

 

「延命治療は本人の意向によって行いません」

 

とオフィシャルに伝え(書き)さえすればOKと

 

シンプルに考えていたのです。

 

水戸黄門の印籠みたいな感じで、

 

それさえ言えば「了解ッスグッ」となる、と。

 

 

 

だけど実際にはこれだけ種類があって、

 

全てどうするかを決めなければならないのだそう。。

 

 

 

まあ、ヒトの命に関わる事だし

 

そんなに簡単な事では無い、

 

と考えてみればわかる事なのだけど。

 

 

 

 

 

経験したことや予想が付くものだと

 

かもしれない運転ができるけれど

 

まっッッッッッッったく予想しない事柄って

 

「かもしれない」が1ミクロンも浮かばないので

 

調べるということすら思いつかないのです。

 

 

 

ま、母は辛うじてまだ意思疎通ができるので

 

考えてもらって答えを出せたけど、

 

答えを出すのが大変そうでした。

 

そして辛いだろうな、とも思いました。

 

 

 

 

 

 

 

そして、最初に書いた

 

母が元気だった頃のセリフ

 

「無駄な延命治療はしたくない」

 

 

これ、割と言うヒト多いと思うのですが

 

この中の「無駄な」というのが実は厄介だってことも

 

今回の帰省で分かったこと。

 

 

 

 

というのは、無駄かどうかはやってみないと分からないから。

 

酸素をつないで、心臓マッサージしてっていう事を諸々やって

 

元気になれば無駄じゃ無いけど

 

やってみても元気にならずに植物人間になってしまうこともある。

 

そうなると無駄な延命処置ということに結果的になるのだけど

 

無駄だったな、と分かってから

 

一度繋いだ酸素の管を外すって

 

一体誰が決める?

 

 

 

 

 

ま、本人が植物なのだから家族が決めることになるんだろうけど、

 

栄養の点滴や胃ろうの管を抜いても即死にならないけど、

 

自分では息ができないから酸素の管を繋いで強制的に酸素を送り込んでいて

 

その酸素の供給を止める場合、

 

すぐに死が訪れるじゃないですか?

 

決めた家族って自分が殺してしまったような気になって辛そうですよね。。。

 

私なら決められないです、多分。

 

 

 

で、さらに、もし家族が決めたとしても

 

病院でも倫理委員会を開いて充分な協議を開かないと

 

延命治療をやめるって簡単にはできないらしいです。

 

 

 

先日もニュースで患者本人が透析をやめてと病院側に伝えて

 

透析をやめ、しばらくしてその患者が死亡したケースが

 

問題になり報道されていましたよね。

 

日本では安楽死も認められていないし

 

すぐに死が訪れると分かっている治療をやめるって

 

なかなか難しいらしい。

 

 

 

 

だけど、一方で、延命治療を一切しないと事前に決めていた場合、

 

もし心臓マッサージやら酸素をつないでいたら

 

元気になったかもしれないという可能性を潰す事にもなる。

 

 

なので、何れにせよモヤァっとしたものが残るんだろうけど。。

 

 

 

私はもう口から食べられなくなったら、おさらばの時かな、

 

とは思うものの、

 

それは死というものが目前に控えていない(と思う)からかもしれないです。

 

歳をとって来たら、何が何でも生きるぞって思うのかも。

 

 

 

 

 

 

お盆は過ぎちゃいましたけど、

 

広島・長崎の原爆の日があったり

 

終戦記念日があったりと

 

何かと死が身近にある8月。

 

残り少ないですが、

 

皆さんもご両親とお話しされたり

 

ご自身の最期を考えてみても良いかもしれません。