「細雪」という美と気品の保存技術 | SOLARIS ARCHIVE

「細雪」という美と気品の保存技術

『2週間で小説を書く』というムシのいい本を眺めていると谷崎潤一郎の『細雪』を紹介し、「読み終わると小説観も人生観も変わる」と評していたので、kindleのお試しで読む。タイミングよく、昨今、谷崎の創作ノートが発見されたというニュースもあったので、お試しが終了した後、京都の大垣書店で新潮社の文庫を買って本格的に読み始めた。

『痴人の愛』『刺青』『春琴抄』は読んでいたが『細雪』は初めて読む。船場の旧家の四姉妹、「鶴子」「幸子」「雪子」「妙子」の関西上流社会の日々を描く長編だ。

上巻は三女である雪子の見合い話が中心で、ミステリアスな展開やエキセントリックな状況はないが、一度読み出すと、軽妙な関西弁の言い回しに添っていく谷崎の繊細にして濃厚な文体に絡め取られ、読まずに居られなくなる。関西弁というと庶民的なイメージが一般的だが、登場人物がくちにする関西弁、正確には「船場ことば」はなめらかで美しく、心地よい。関西弁=「生々しい」というイメージが自分のなかで消えた。

wikipediaで同作を調べると5年の歳月の間に、次々と事件が起こるが、筋という筋はなく、4人の姉妹の暮らしを通じて、建築、着物、花や歌、そして舞台となる芦屋界隈に漂うモダニズム、なによりも女性の美が描かれる。それらを5年の歳月をかけてあますことなく描ききった谷崎の美的な感性、引力がこの小説の力なのだろう。

次女の幸子は、(谷崎の夫人の)松子婦人がモデルだそうだ。出会った当初、松子は豪商の新妻であり、谷崎にも妻がいた。気品と美に溢れた松子が忘れらない谷崎は彼女に手紙をしたため、松子もそれに応えて返し、二人は惹かれ合ったという。その一方、昭和2年の金融大恐慌で松子の夫の事業が傾き、彼女が備えていた気品と美も財産とともに失われるのではないか?と考えた谷崎が、その気品と美を作品として書き留めて保存したい、ということで産まれたのが『細雪』なのだそうだ。

同作は幾度となく映画化されているが、1983年に市川崑が監督した『細雪』では、長女の鶴子を岸惠子、次女幸子を佐久間良子、そして三女の雪子を吉永小百合が演じ、こいさんこと四女の妙子を古手川祐子が演じた。ちなみに、市川崑の妻は脚本家の小和田夏十で、市川は彼女の脚本による『細雪』を切望したが「やりたい気持ちはわかるけど、これまで2度も映画化されたけど、どれも成功しなかった」と反対した。しかし闘病生活が続いて死期を悟ったのか、ある日、和田は市川に「5年間の出来事を1年の四季の移り変わりの中に凝縮する形で脚本を書いたらいいわ」とアドバイスしたという。それで市川は同作を映画化を決意、基本的な脚本は他の脚本家が担当したが、ラストのシーンは和田に執筆を依頼した。しかし、映画の仕上がりを見ることなく、小和田夏は鬼籍に入る。
 ちなみにテレビシリーズ『木枯し紋次郎』は市川の監修によるもので、その主題歌『だれかが風の中で』の作詞は小和田夏十担当したことでも知られる。この時も和田はすでに病床にあったが、市川たっての願いでこれを引き受けたという。

『木枯し紋次郎』シリーズのテーマは「走る」ことだそうだ。