ある写真家でジャーナリストの男性の奥様の闘病を書いたノンフィクション小説を読みました。
写真家としていろんな死を見てきてそれを撮影して現状を伝えることを生業としてきたカメラマンの奥様が突然死の淵に。
その倒れてから10日間の最期の時までをつづったものでした。
私は出産という人の始まりを撮影させて頂く。
その中でいつも反対の死を隣り合わせに感じています。
この年にしては身近な死を見せてもらう機会が(親族以外にも)多いほうということもあり、考える機会も多く頂いてきました。
本の中には彼が仕事にしてきた事実(死)と今目の前にしている事実(奥様の死)を重ねわせる。という葛藤をいろんな形で書かれていました。
写真を撮るということ。
人生の始まりに立たせて頂けること。
それはある意味で産まれたらいつかその最期が来るという事実を撮ってるようにも思います。
それは決してマイナスな感情ではなくそれがこそが人の道だということで、それがあるから今を大事に生きるということだと思うのです。
それを踏まえたうえで私は伝える責任がそこにあるんだと強く感じました。
だからと言って力んで何かしようとということではなくて、この今ある命を楽しむことを、人は一人では絶対にないということ、たくさんの愛がそこにあるということを写真で伝わる何かを撮り続けることだと思ったのです。
何より続けていくこと。
それを伝えていくこと。
同じことだけど何度でも言えるくらい私はそれを表現して行けたらと思いました。