最近よくみかけるキッチンカー。


キッチンカーで3万円のステーキ買うやつなんているのだろうか?


ちなみに、2500円のステーキがこれ。


2500円、サイゼリヤにいけば、ワインや前菜も付けられる。


大衆演劇だって観られる。


まあ、大衆演劇とステーキ、どっちが素敵なのかは人それぞれだろうけど。


キッチンカーのステーキにはさすが負けてないはず。


サイゼリヤには負けるかもしれないけども。


大阪万博のメシが高いと巷ではよく言われていたけども、これにこのお金を出せるひとってようは成金、プチブルくらいでは?


そういう層をターゲットにするのはビジネスならば自由ではあるけど。それで滑ってもそれこそ自己責任だからね。




でも、公益性の高い政治がこういう層をターゲットにし始めたとしたら、滑っただけでは済まされないと思うぞ。


アベノミクス、サナエノミクス。


副都心構想、都構想。


夢洲にIR誘致。


ごくひと握りのものしか恩恵を受けないものに税金が投入され、そして中抜きビジネスが横行する。


補助金狙いのハゲタカビジネスと政治が癒着。


国民や都民、府民から集められた税金がひと握りのものに流れていく。



大屋根リング、見方を変えればゾーニングなんだよな。


内側と外側を分けるゾーニング。


恩恵を受けるのは言うまでもなく、内側のみである。


大衆演劇は劇場の内側でのみ行われている。


外側のことは一切関知しない。


ドロンしようと、性奴隷だろうと。


暇な客に限って、舞台以外に興味ありがち。だって、もう、見飽きてるからね。


アフター万博しかり、アフター大衆演劇しかり。


アフターにしか関心がないのはキャバクラの常連客と似たようなもの。


社会の本質、人間の本質は内側に宿るのか、外側に宿るのか。


外面だけいい人間もいる。


外国にはばら撒くけど、国民にはケチな政治とか。


お友達には手厚いけど、他人には冷淡な人たちもいる。


右翼って内側に手厚くみえて、そうでもないような気がしなくもない。


内側にばかり文句いう左翼は嫌われがちではあるが、目くそ鼻くそのような気がしなくもない。


外側なのか、内側なのか。豆まきのようなものである。


敢えて、福はうちとしかやらない豆まきもある。


ミサイルを作るにも税金がかかる。ミサイル一発と福祉、どちらがより多くの国民を救済できるのだろうか。


ミサイル作るために病院減らすとしたら?


後期高齢者は医療を諦めてくれと言い出したら?


もう十分生きたでしょ、70過ぎてもまだ行きたいのですか?




今の日本はひと握りの人たちのみ得することしか考えてない社会になりつつある。


平たく言えば、格差社会だったり、宗教だったり。


オタクだったり、サブカルだったり。


より強固なゾーニングが行われつつある。


同じ日本国内にいても、さらに内と外に分けようとしている。


移民排除したところで、国民全員が内側に入れてその恩恵を受けられるという保証はどこにもない。また新たに内と外が作られるだけなのだ。


タワーマンションに入館するにはいくつかのセキュリティーを越える必要がある。現代版の関所だ。


内側に入るためにはどこに入るにも顔認証などが必要になるかもしれない。


今後、医療を受けるためにも顔認証が必要になるだろう。


全ての人に開かれた社会になるとは限らない。


LGBTQは生産性のないというひともいる。


夫婦別姓を認めたら日本が壊れるというひともいる。今のままでいいという。嫌なら日本から出ていけとさえいうひともいるらしい。


社会からこぼれ落ちる存在は必ずいる。


大衆演劇でもお馴染みの渡世人しかり、またたびしかり。大衆演劇とは社会の日の当たる場所には立てないはぐれものこそが主人公なのだ。平たく言えば、反社のファンタジーでもある。


リングの内側にしか関心がなくなれば、社会の底辺や周縁まで行き届かなくなる。


リングは内側があればこそ成立する。壁だけ残しても意味がないからね。


中国には万里の長城というものが存在する。宇宙から唯一観ることができる建造物なんだとか。


無用の長物と言われながらも歴史的建造物としてたまたま残されてはいるけど、要は壊すのも大変だから残したのではないか。それが時を経て遺産になった。さすがにもう壊さないだろう。


万里の長城、元々は異民族の侵入を拒むための壁だった。国を内と外で分けるためのものだった。日本は島国なのでそもそも分けることができない。日本の領土だと主張する竹島や北方領土は今後どうなるのだろうか?


大屋根リングは万博が終われば意味のないものとして解体される。内側のパビリオンは更地にされてリングだけ残しても意味がないし、再開発の邪魔にもなりかねないからね。再開発こそやりたかったことなのだから。万博はちょっとしたおまけだったのだ。


大屋根リングは解体を前提として設計されて作られたものである。ゆえに平易に壊れるようになっている。


横浜で行われる園芸博での再利用も既定路線なのだろう。リングを丸ごと保存する構想など端からなかったというのが正直なところだと思われる。予算的にも現実的ではないだろうし。


一部を残すというのも批判を避けるための方便に過ぎない。とりあえず一部は残してやるということだろう。いずれは解体されるかもしれない。エキスポタワーやアクアポリスみたいに。


跡地はとっとと民間に売却して利益を出したほうがいい。リングを残しても支出が増えるだけだろう。


人間も文化も生産性のあるなしで評価されがちな社会である。無駄なものは解体され、排除される。


木川劇場も解体されてしまった。残したところで生産性がないのだ。愛だけでは地球を救えないだろうし、劇場ひとつさえ残すことはできない。


歌舞伎町劇場も2月で大衆演劇の常打としては終了する。3年という泡沫の夢であった。


まあ、バックヤードを建屋の中に置かなかった時点で、大衆演劇は様子見だったのは察しがつくけど。恒久的に大衆演劇の劇場として運営するつもりならば、地下二階あたりに楽屋と荷物の収納施設などを作ったはずである。仮だったのは一目瞭然だった。


木川劇場も時次郎もえせヒューマニズムの極みだ。やつらはオピニオンリーダーでもなければインフルエンサーでもない。単なるガヤに過ぎない。



意味のないものは誰も救済しない社会。内と外をわけがち。それが今の日本の姿ではないか。


そしてその意味とは一体誰が決めるのか?国や行政といった権力者なのか、金持ちなのか?


自分のいのち、人生である。それを他者に全て委ねるというのは納得いきますか?ましてや国家に管理されるとか。


穿った見方をすれば、万博とはそんな社会を示唆しているとも見れなくもないのだ。


コモングランドのオランダの首相はロブ・イェッテンが就任。インドネシア人とのハーフの38歳ゲイ男性だとか。


そんな日本のネットの反応はこんな感じ。


まあ、日本ではさすがにあり得ないと思うけどね。


例えるならば、立憲民主党の石川大我が首相になるようなものです。首相の器でもないし、そもそも、参院選比例で落選してますし。


マツコデラックスかミッツマングローブあたりに首相になってもらうしかなさそうです。


美輪明宏もいるでよ。



夢なら覚めないで。


アナザーガクト。


写真と実物は違う。

鮭とばかと思った。鮭とば。



秋田のぼだっこならばセーフ。