今回の公演で3度目となる『ゲートシティーの恋』。
私は、舞台『ゲートシティーの恋』・Bチーム千秋楽を観に行ってきました。
Aチームも観たかったのですが、チケットが取れなかったため、Bチームについての公演の感想を書きたいと思います。
<目次>
Ⅰ ストーリー
Ⅱ キャスト(Bチーム)についての感想
1 成宮輝人 役 小川涼(おがわりょう)
2 沢村美博 役 藤井凜華(ふじいりんか)
3 今野沙里花 役 秋葉七海(あきばなみ)
4 新川 役 井川さつき(いがわさつき)
5 ノエル 役 長谷川美蘭(はせがわちゅらん)
6 冬馬 役 桜城りのん(さくらぎりのん)
7 ソラ 役 琴子(ことこ)
8 ひかり 役 熊倉結菜(くまくらゆいな)
9 ドクター 役 野口香里(のぐちかおり)
10 篠宮上官 役 三嶋悠莉(みしまゆうり)
Ⅲ 物語全体についての感想
<本編>
舞台『ゲートシティーの恋』
企画・演出:山本和夫 脚本:林さとみ/長谷賢治
Ⅰ ストーリー
環境汚染された近未来の都市に、遺伝子選別されたエリート達が暮らす壁に囲まれた「ゲートシティー」がそびえている。シティを守る女性士官候補生・美博は、ゲートの外のスラムから、病の妹のため「いのちの盾」盗みにきた輝人と戦い、撃退する。しかし、輝人は美博に強く惹かれ、たびたびゲートに侵入するようになる……。
Ⅱ キャスト(Bチーム)についての感想
1 成宮輝人 役 小川涼 (おがわりょう)
小川涼さんの、長身で、細身で、シャープな顔つきは、まさに主役の存在感がすごかった。
そして、名ばかりの主役ではなく、輝人の純粋さ、優しさ、過去の苦しい生活からくる人格を、上手く表現できていたと思う。
おそらく、多くの人は、苦しみに挫折し、死んでいったり、犯罪に手を染めていたのかもしれない。
妹を捨てて、自分だけで生きていくかもしれない。
あるいは、妹を置き去りに、自殺していたかもしれない。
常に食欲を満たせず、栄養失調の中、安眠することもできず、夢を抱くことも青春を味わうことも許されず、いつ死ぬか殺されるかわからない緊迫感の張りつめた環境の中では、人の精神状態はすぐに壊れてしまうのだ。
それでも、輝人がゴミを売りながら、妹のひかりを守りながら、少女の写真のデータの入ったカメラを癒しにしながら、なんとか生きてきた人生は、どれほど苦しく、辛かったのか、なんとか正気を保とうと必死に生きてきたのかを想像させられた。
綺麗な物語の裏には、やはり闇があると思う。
輝人は、諦めずにいた強い精神と幸運で、冬馬やソラとも出会い、生きのびることができた。
しかし、その裏では、食料が確保できずに餓死する者、環境汚染で感染症などにかかり病死する者、生きる希望が見い出せずに自殺する者、生きるために殺害された者などがいたと考えられる。
そんな環境の中で、輝人、ひかり、冬馬、ソラは、家族として、共に助け合いながら生きてきたのだと思う。
2 沢村美博 役 藤井凜華 (ふじいりんか)
凜華ちゃんの可愛さがこれでもかと発揮されて、恋する女の子、ヒロイン感がものすごく出ていたと思う。
本当の恋をしたことがない、キスもしたことがない女の子が、初めて恋と言うものを知って、展開していく演技は、ある意味、使い古されていて、下手をすればクサい芝居になってしまうと思う。
それを、可愛く、表現力豊かに、魅力的で、観ている観客に共感を覚えさせる演技力の高さは、凜華ちゃんにしかできないんじゃないかと思った。
3 今野沙里花 役 秋葉七海 (あきばなみ)
最初は、アホの子かな?と思ってしまった(笑)
でも、実際には、したたかさもあり、恋に対する熱量もあり、美博との恋のかけひき、戦いはおもしろくて引き込まれた。
新川に対する想いの熱量の表現力の仕方が、冷めていると見せかけたり、熱く迫ってみたりという演技が圧巻だった。
最後の息絶えていく新川の名前を連呼するシーンは、胸が熱くなった。
4 新川 役 井川さつき (いがわさつき)
人によってはサイコパスや狂気とも捉えられる新川。
その新川を圧巻の迫力で魅せてくれた、さつきさんの演技にはただただ心を揺さぶり続けさせられた。
新川という人間は、もともとは純粋な少年だったのだろう。
バイオリンを弾くことが好きで、沙里花に恋をしていた。
しかし、沙里花を守るための不慮の事故で、バイオリンを弾くことができなくなった。
それは、少年の心にはあまりにも耐えがたい現実だった。
人生を半分死んだような気持だったのかもしれない。
そして、その理不尽な運命への憎しみの矛先は沙理花へと向かってしまう。
そんな新川にとって美博との結婚は、神の救いとも思えた。
しかし、美博は、輝人へと想いを寄せていく。
新川の憎悪は、輝人へと、沙理花へと、そして美博までへと向かってしまう。
新川は、冷徹で、狂気に満ちた人格となり果ててしまった。
沙里花を助けようとした結果、バイオリンを弾くことができなくなった。
生きがいを失った。
夢を失った。
義手をつけなくてはならなくなった。
毎日の些細な楽しみを失った。
神を呪えばいいのか、自分の運命を恨めばいいのか、それとも沙理花を憎まばいいのか。
その葛藤は、純粋な少年だった新川にとっては、あまりにも重すぎた。
ただ、好きな女の子を救おうとしただけなのに。
美博を殴るシーン、沙理花を殴るシーンは、目を覆いたくなる。
輝人を電気ショックで苦しめるシーンは、狂人としか思えなくなる。
しかし、ラストで、沙里花の腕の中で死んでゆく新川には、今までの人生を後悔し、しかし気づくのが遅すぎたという嘆きがにじみ出ていた。
彼は苦しみから逃れようと何度ももがいたが、やがて狂気に人格を乗っ取られてしまっただけなんだと感じさせられた。
胸が熱くなった。
背筋が凍りついた。
体全身が震えた。
誰もが人生を生きていく中で、大小の失敗を犯す。
無視できるレベルの失敗もある。
取り返しのつかない失敗もある。
それを克服できる環境に育つ人もいる。
それを克服する方法など無い環境に育つ人もいる。
すべての人間は平等な人生を送れるわけではない。
そこに、感動も生まれるが、残酷な悲劇も生まれる。
そして、ある人が、幸福になるか、不幸になるかは、ほとんどがランダムの確率論に支配されている。
5 ノエル 役 長谷川美蘭 (はせがわちゅらん)
ポンコツ可愛いノエル。
そんなポンコツ可愛さを見事に演じていた美蘭ちゃんは、ドはまり役だったと思う。
一家に一台欲しいくらい、愛くるしいノエル。
もう、ほんとにノエルがいたら、毎日楽しいだろうなーと思う。
窓をふくシーン。
美博との戦闘シーン。
関節体操のシーン。
などなど、ノエルの存在はどれもめちゃめちゃおもしろくて、シリアスなシーンが多い物語の中で、心理的な緩急のを与えてくれるアクセントとなっている。
そして、ラストには美博を探すシーンで、涙腺を崩壊させられる。
6 冬馬 役 桜城りのん (さくらぎりのん)
臆病だけど、輝人、ソラ、ひかりの大切な家族を思いやる優しくて温かい人格が、とても感じさせられた。
輝人やソラと言い合いする場面では、冬馬のキャラクターがとても出ていた。
弱っているひかりを心配する場面では、冬馬のどうしようもなく優しい人柄を感じさせられた。
電撃でやられて瀕死の状態にいる輝人を抱える場面では、冬馬の振り絞る強さが感じさせられた。
生き生きとした表情と振る舞いからにじみ出てくる感情の演技が素晴らしかった。
場面ごとに移り変わる感情による、その表情と振る舞いの変化は、優雅な馬が草原を駆け抜けていくような躍動感があった。
りのんちゃんは独学でダンスをやっているそうだが、関節体操でのキレのあるダンスは、独学とは思えないほどの見応えがあった。
その裏にある努力とダンスを好きな思いを感じさせられる。
最後の激しいヘドバンには、めちゃめちゃ笑った。
りのんちゃんは、AIでも、何度か男性役を演じているが、今回の冬馬役は、これまで積み重ねてきた演技経験の最高傑作になったのではないかと思う。
それほどに、りのんちゃんの冬馬は、ツクリモノではなく、舞台上で生きていたと思う。
もちろん、りのんちゃんの演技からは、これからさらに演技経験を積んで、演技を磨いて、さらに素晴らしい演技を魅せてくれるのではないかという可能性も感じさせられた。
りのんちゃんの演技は、観る者を楽しませてくれる。
シナリオによって役の雰囲気が違うのはもちろん、同じシナリオであっても、違う表現を見せてくれる。
そして、りのんちゃんは演技感が抜群にあり、もっとも冴えたやり方でその役を演じてくれる。
そんなりのんちゃんからは、本当に演技をすることが楽しくて、演技が大好きなことが伝わってくる。
りのんちゃんの今後の活躍が楽しみだ!
7 ソラ 役 琴子 (ことこ)
セリフの少ない役ではあるが、ソラがいることで、輝人、ひかり、冬馬のキャラクター性が浮き彫りになり、4人の家族としての温かさが感じられた。
その意味で、重要な役だったと思う。
特に、冬馬とのやりとりはとてもおもしろかった。
8 ひかり 役 熊倉結菜 (くまくらゆいな)
守りたい、その笑顔。
ひかりは、この言葉に尽きると思う。
おそらく、観客の男性の約9割が、この言葉を頭の中で思い浮かんだのではないだろうか・・・。
そんな可愛くて、素直で、無垢なひかりを、結菜ちゃんは見事に演じきっていたと思う。
こんな妹が欲しい。
というか、ひかりを妹にしたい。
というかというか、結菜ちゃんを妹に(自主規制、笑
9 ドクター 役 野口香里 (のぐちかおり)
ドクターは、闇医者で、ゲートシティーの内側を知っていて、輝人たちを無償で助ける人物として描かれている。
闇医者とは、一般的には、医師の免許を所有しないで医療行為を行う人のことをいう。(参照:実用日本語表現辞典)
元々はゲートシティーの中で医師をやっていたが、何かをやらかして、医師免許を剥奪されて、ゲートシティーの外で暮らしているのだろうか。
そして、現在は、ゲートシティーの外の人々に、医療行為をして、対価に食料などをもらって暮らしているのだろうか。
しかし、そもそも、何をやらかしたのだろうか。
なぜ、輝人たちと仲が良いのだろうか。
輝人たちの母親と何か関係があるのだろうか。
どうやって、ゲートシティーの内側の情報を仕入れているのだろうか。
誰か、内通者がいるのだろうか。
一見、酒を飲んだくれているヤブ医者にも見えるが、よく考えると謎多き闇医者。
10 篠宮上官 役 三嶋悠莉 (みしまゆうり)
常に厳しい表情で、規律正しい篠宮上官。
その規律正しすぎる生き方は、ゲートシティーの中が、犯罪から私生活まで、ガチガチに法律で規制されていることを想像させられる。
その厳しい人格は、ゲートシティの教育、環境によるものだろう。
しかし、彼女にも、美博や沙理花のような、女性の純粋な心はあるのだろうか。
Ⅲ 物語全体についての感想
シェークスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きにした『ゲートシティの恋』については、美しい恋の物語や、恋の悲劇など、人によって、また誰の視点から見るかによって、様々な感想を抱くと思われる。
一般的な感想を述べてもおもしろくないし、また、全方向に共感される方な感想を述べるのも難しい。
そこで、ここからは、私は、「大人」と「子ども」、「愛」と「憎悪」という2つのテーマに絞って、感想を述べたいと思う。
●大人とは、
成長して一人前になった人。
㋐一人前の年齢に達した人。
㋑一人前の人間として、思慮分別があり、社会的な責任を負えること。また、その人。(出典:小学館/デジタル大辞泉)
●子どもとは、
1 年のいかない幼い者。児童。小児。わらべ。わらんべ。また、多くの子。子ら。
2 親がもうけた子。むすこやむすめ。
3 行動などが幼く、思慮が足りない者。
4 目下の若い人々に親しく呼びかける語。(出典:小学館/デジタル大辞泉)
また、老害という言葉がある。
●老害とは、
本来は、世代交代が図れず老朽化した『組織』に向けて使われる言葉である。
転じて、能力の衰えた高齢者が社会や組織の中で活動の阻害をする際に使われる。
* 創業者や代表取締役がトップに居座り続け、世代交代が進まない企業→ワンマン経営、同族企業
* 70歳を過ぎた政治家が国会や地方議会、政府や自治体に居座り、国民に不利益な政治活動を行う
* 自己中心的に行動し、他人や社会に迷惑をかけているにもかかわらず、自覚がない、または確信的に自らの非を認めない
自分に知識や経験が備わり、特に学習する必要がないと思い込み、元々の性格の問題が表に出始め自分の常識や意見が一般論、もしくは一般論に優越する正論だと勘違いをするようなことがある。
ただし、これは年齢を重ねた人だけではなく、例えば幼少時から体育会系集団に浸かっていた・自分はIQや精神年齢が高いと思い込んでいるなどの要因から、やはり自分には知識や経験が備わっており学習する必要がないと思い込んでいる若者にも言えることである(若年性老害)。
実際に社会は新しい仕組みや知識が作られ、必要とされなくなったものは消えているのが現状であり、古い知識は通用しないこともある。
なので(どの世代にも言えることではあるが)常に客観的、謙虚な姿勢で新しい物事を学習し続けることが大切であり、自らを客観視できる癖をつける必要がある。
(出典:ニコニコ大百科)
大人は、多くの場合、経験則で先を読みながら生きてゆく。
これに対して、子どもは、多くの場合、後先を考えず、その時々の感情や本能で生きてゆく。
大人は、多くの場合、先を読めていると思い込み、偏見や破綻した理論にとらわれていることに気づかずに、現状維持を良しとし、挑戦や改革をしようとしない。
これに対して、子どもは、先を読むことよりも、現状の問題を発見し、解決していくことを優先し、挑戦や改革をしようとする。
輝人は、美博に恋をした。
相手がゲートの中の人であっても、まっすぐに突き進んでいった。
美博も、輝人に恋をした。
相手がゲートの外の人間であることで、ためらいながらも、輝人への想いに気づいたとき、その想いはおさえられなかった。
沙理花は、新川への想いを捨てることができずにいた。
ゲートの法律で、恋愛は禁止されており、新川の婚約者に選ばれなかったが、想いは捨てずにいた。
新川が輝人に刺された時、輝人と美博に復習しようとした。
新川は、美博に救いのような想いを抱いた。
その想いは挫折感からの反動により、あまりにも激しく、美博を傷つけるほどだった。
彼らの恋心は、一途で、純粋で、駆け引きなど無い。
だからこそ、そのあまりにも美しい恋愛に、人は憧れを抱き、心を奪われ、感動する。
なぜなら、私たちの多くは、彼らのような恋愛をすることができないからだろう。
そのような恋愛は、結果としてうまくいけば良いことこの上ない。
しかし、悪い結果となった場合、自分や相手のみならず、周りの人々にまで被害を被らしてしまう。
最悪の場合、誰かを死に追いやってしまう場合さえある。
それが予想できてしまうため、怖くてできないのだ。
しかし、彼らのような恋愛でなければ、本当の恋愛と呼べないのだろうか。
そもそも、愛とは何なのだろうか。
●愛とは、
① 対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。
㋐ 相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。愛情。 「子への-」 「 -を注ぐ」 「 -の手をさしのべる」
㋑ 異性に対して抱く思慕の情。恋。 「 -が芽生える」 「 -をちかう」 「 -をはぐくむ」
㋒ 何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。 「自然に対する-」
② キリスト教で、見返りを求めず限りなく深くいつくしむこと。 → アガペー
③ 〘仏〙 人や物にとらわれ、執着すること。むさぼり求めること。渇愛。
④ 他人に好ましい印象を与える容貌や振る舞い。あいそ。あいきょう。
(出典 三省堂大辞林 第三版)
愛という言葉の意味について調べてみると、文学、哲学、宗教などによって、様々な偉人が、様々な解釈をおこなっている。
それほど、愛というものは、人間の人生にとって、重要なテーマなのだろう。
●憎悪とは、
憎むこと。憎み嫌うこと。 「 -の念」 「深く-する」
(出典 三省堂大辞林 第三版)
概要:他人やその人の言動や態度が、自分にとって酷いだけのみならず、自分の人格や尊厳を害なうものとして許し難く、そうした行動が既に取り消し難いものであれば、その他人の存在自体に対しても激しく憤りや敵意を感じ、なんらかの報復を試みたいと考えること、あるいはそうした感情。場合によっては、違法であることを承知して、殺害や傷害と言われようとも復讐したいと思うような感情を抱く。
原理:憎悪が人の集団や人種、国家に対して向けられたとき、人種差別・民族差別・植民地支配・テロリズム・近親憎悪・反体制といった行動として、その姿を表すこともある。それは信念・主義として常に表に表されていなくても、ささいな事件・衝突から一挙に爆発し、直接にはその衝突に無関係だったはずの人たちをも巻き込んで、憎悪が大衆暴動・蜂起に発展していくこともある。政治状況が不安定であったり、人種や支配階級とそれに抑圧された市民層の間での持てる者とそうでない者の間の社会的な軋轢が極度の緊張関係にある社会ではよくあることである。
(出典:Wikipedia)
また、愛憎という言葉がある。
●愛憎とは、
愛情が強過ぎる、自分の都合が悪かったり、嫉妬心から、その対象を憎悪する心理が生じる場合がある。このような、愛情と憎悪が折半する状態。
(出典:Wikipedia)
現代では、愛(想い)はお互いの愛のバランスが保たれていることが重要だと思う。
相手に対する愛が強ければ強いほど、それは純粋な愛と呼べるのかもしれない。
しかし、たとえば、自分の相手に対する愛が70で、相手の自分に対する愛が30だとしよう。
この場合、愛のバランスは崩壊する。
通常、相手は、愛が重すぎると感じて、関係性は壊れる、つまり、失恋する可能性が高い。
それでも相手へ愛を伝え続けると、相手は愛が苦痛に変わる。
そして、バランスはさらに崩壊してゆく。
相手が苦痛に感じているのを気づかずに愛を伝え続けると、相手はさらに苦痛から嫌悪へと変化する。
自分の相手に対する愛が90~100で、相手の自分に対する愛が10~0になる。
そうすると、場合によってはストーカーへと発展してしまう。
あるいは、メンヘラに陥ってしまう。
そして、自分がこれだけ愛を伝えているのに、相手からの愛が感じられない場合、愛は憎悪へと変化してしまう。
最悪の場合、犯罪などに発展してしまう。
アンチと呼ばれるものも、この場合に発生しやすい。
自分が相手に貢いだ感情の大きさ、時間、金銭に応じて、その反動は大きくなる。
自分の思っていた理想の相手と、現実の相手が食い違う時、自分の理想を相手に押しつけてしまう。
あなたはそんなんじゃないはずだ!あなたはこうなんだ!などと。
それほどまでに、一途な恋愛、純粋な恋愛というものは、リスクが高いのである。
そのリスクは自分が傷つくだけならまだしも、相手を傷つけたり、周りに被害を飛ばしてしまう。
この舞台でいうところの新川が良い例だと思う。
自分の想いと、美博の愛のバランスが崩壊しているため、美博を手に入れるためには、暴力を使うなど、手段を選ばなくなってしまう。
それをサイコパスと呼ぶか、すべての人に新川に陥ってしまう危険性がある純粋な愛の裏面と呼ぶか。
難しいところではある。
多くの人は、恋愛でそんなリスクを負いたくないと考えるだろう。
自分を傷つけたくないのはもちろん。
好きな相手を傷つけるなんて、絶対に嫌だと思うだろう。
周りに迷惑をかけるのもしたくないはずだ。
しかし、恋愛は麻薬だと言われるように、一度、愛の麻薬にかかってしまうと、冷静な判断ができなくなってしまう可能性は、すべての人に秘めている可能性だと言える。
自分だけは大丈夫だと言っている人は、自分だけはインフルエンザにかかっても熱は出ないなどと言っているのと同じようなものだ。
だからこそ、自分の精神状態を管理、コントロールすることが重要なのである。
愛によって、人は救われる。
愛によって、人は幸せになれる。
しかし、愛によって、人は簡単に壊れてしまう。
『ロミオとジュリエット』、『ゲートシティーの恋』に心を激しく動かされるのは、そういった、人間の根源的な愛への欲望を満たしてくれるからなのかもしれない。
ただし、恋愛が人生のすべてではないことを、心の片隅に置いておきたいものである。
以上
