初めての育児は、私が22歳の時。
今みたいにすぐに調べられるパソコンもスマホもない。頼れる物は育児書だった。
お腹にいるころは、たまごクラブ。生まれたらひよこクラブ。当時はそれが当たり前のようだった。
もちろん載っているパパさんは、育児を手伝ってくれるような今でいうイクメンだったり、夫婦の形もまるっきり比べようもないくらい自分たちと違った。私は、雑誌を見ては理想の家庭、理想の生活を思い描いていた。
理想だらけの本から自分が知りたいワードを拾い参考にしていた。今でも紙派なのは、そこからきているのかも。
娘は、とにかくよく泣いた。おっぱいは、飲んでくれず搾乳してあげていた。
私が慌てて不安になると娘も泣く。娘は、その頃から敏感だった。
24時間娘と一緒。観察したり泣かせたほうがいいと聞くと思い切って少し離れてみたり。。
近くで泣いてるのを見ていられるベテランでもない私は、1分もてばいいとこだった。
すぐ抱っこして泣き止む方法を探していた。答えのない問題だった。けれどその時の私はとにかく必死。夏は水遊びをさせてみたり、夕方ベビーカーをついてお散歩。部屋のライトを変えてみたり靴下を履かせたり脱がせたり。娘が心地いいイコール安眠という方程式だった。ある程度リズムを作ったりもしていた。朝は早く起きて夜は20時半には、娘とお布団に入っていた。その頃DV夫は、夜遊びに出かける。愛してるよ。なんて都合よくいいながら夜の街へ。飲酒は、しなかったがバイクを乗ったりとにかく走り屋が流行った時代。DV夫の遊びかたもそんなもんだっただろう。私は何も期待していなかったので何も感じていなかった。機嫌よくいてくれれば普通に暮らせる。
3時間置きの授乳。寝かせたタイミングで帰って来られるとホントに怒り心頭だったし体の関係を迫られるとホント吐きそうだった。断れない自分も嫌だったし暴力に支配されてる事もしんどかった。
DV夫も子供は可愛がってくれていた。夜中ゲームをしながらあやそうとしてくれたりはした。
ただ私はテレビの光が嫌だったので全然元気!という雰囲気で気持ちだけいただいた。
娘が全てだった。
携帯から消されたアドレスは、そのまま。
増えたのは彼の親族や兄弟たち。
友達は、まだまだ青春真っ盛り。流行りの服もまず何が流行りかもわからない状態の22歳。
所帯染みている自分が友達の輪にいると浮いてみえるのは、一目瞭然だった。
オシャレバリバリ、アパレル店員の自分は、もう遠い昔に消えていた。
爪も短く、髪も真っ黒。動きやすい服。
当時のユニクロは、最強の部屋着だった。
2年、3年、、、いや、5年以上きた服もあった。
娘の服は会う人で変わる。
夫のおばあちゃんと会う時は、買ってもらったワンピースを着せた。夫の母と会う時はディズニーの着ぐるみ。自分の親に会う時は、Tシャツに短パン。みんな好みが違うのだ。。
買ってくれる服は、必ずその人が娘に着せたい願望の服なので好みもよくわかった。
無駄な戦いは、好まないので最初から私はあざとかった。会う人が喜ぶようにしていた。
おかげで娘は、みんなのアイドルだった。
育児書通りの育児をなんとかかんとかこなしていた。その頃夫は、無職。
仕事が決まって辞めての繰り返し。
無職歴が更新され続けていた。。。