ブログネタ:「誰でも良かった」で殺されたくない!
参加中もしこんな理由で私の大切な人が殺されたら、やりきれない気持ちになる。
激しい気持ちで高ぶったら、「誰でも良いならお前が死ね」と犯人に叫ぶだろう。
いろんな事がある度に、意味もなく人の気持ちを理解しようと思う。
誰でも良かったから人を殺した・・という事から、私がわかるのは「自暴自棄になった」という事くらい。
自暴自棄になったから人を殺すなんて事はとうてい私には理解できない。
視野が狭くて、自分の事しか考えられない行為。
自分の人生と同じくらい他の人の人生も大切に思えたら、こんなひどい事はできないだろう。
犯人はどういう環境で育ったんだろう、きっかけになった出来事はなんだろう。
どうしてこういう考えになって、何故実行したんだろう。
何故自殺じゃなくて、殺人なんだろう。
私の知り合いが数ヶ月前自殺しました。
川での入水自殺。突然の出来事でした。
人が何かを起こす時、視野が狭くなっている事が多い。
他の事が考えらなくて、思いつめてしまう。
その気持ちの刃が人に向かうか自分に向かうか。
なんで簡単に人に攻撃を向けるんだろう。
世の中には理不尽な事も、努力が報われない事もあるし、絶対なんてこともないし、
良い事も悪い事もあるし、ラッキーな人もいれば、不運な人もいる。
成功もあれば失敗もある。
このような事件とは大きさが違うけど、自分の経験で感じた事がありました。
家族が車同士の事故にあいました。
交差点での相手の信号無視による事故でした。
車は大破。全損でした。
私と旦那は穏やかな性格だったため、本当はショックだったし、頭にもきたけど、
怒りをあまり表に出しませんでした。
「事故はだれでも起こす可能性があるもの。もし自分が加害者になったら・・・」との思いでした。
しかし、こういう素直な思いは、時に不必要だと思いました。
そういう気持ちが保険会社がこの程度しか怒っていないと思い、
言葉を選んで話をする事を怠りました。
私たちの優しい気持ちが、私たちにも非があるから怒らないんではないか・・・・と思わせました。
私達の気持ちが事故を起こした相手に、反省させる気持ちを損なわせました。
怒りを言葉にして叫ぶという事は、加害者のためにあるんだな・・・と痛感した出来事でした。
気持ちを叫んだって何も救われない、そこには相手への反省を促す行為でしかないから。
言い方を変えれば、相手のために怒りを言葉にしているんです。
あと数秒違い、ぶつかった場所が違えば、旦那は死亡していたかもしれないし、
半身不随になっていたかもしれない。
その想像力がないからこそ、ちゃんと謝罪する事ができない。
「ども、すみません」とぺこっと謝っただけだった。
憤り・悲しみ・やりどころのない気持ち・理性・良心が目まぐるしく変わる中、
些細な言葉に疑心暗鬼になり、傷つく。
人が亡くなるということは、どれだけの悲しみがあるか
普段からちゃんと理解していないといけないし、
こういう気持ちは死ぬまで忘れてはいけないし、
肝に銘じて生きています。