きのうの事 | 震災後の海おんなのブログ

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震災からの記録です。

夜の3時半頃から仮設の壁ドンと怒鳴り声がしていたのが週1から週2・3回になり、きのうは夜の8時半頃から始まりました。


今回は家から出て、通路をウロウロしながら風除室のものを杖で落としたり、鍵の付いたほうの玄関のガラスを叩き、「出て来い!何するかわからねぇぞ!」と各家を回っていました。2回目がピークで「出で来い!サツ呼べ!」と強く玄関をドンドンするので家の電気を消し、一番遠くの部屋でじっとしていました。

私の仮設の鍵は丸いくぼみのあるものではなく、倉庫などで使われる小さい鍵なので、もしかしたら・・・とパニックでした。


別の家に行ったみたいでこっそり開けると、つっぱり棒にかけていた傘が落とされ散らばっていました。灯油缶は倒されていなかったので、家の中に入れました。


警察の電話番号を書いた紙があったはずなのにどこにあるか探せなくて、実家の母に電話をすると、「すぐ行く!」と言われましたが鉢合わせになり、怪我をされたら・・・とますます不安になり、「絶対に来ないで。警察に電話してちょうだい。」とお願いしました。


30分くらいしてから警察が来て、車に連れて行かれましたが、車の中での厳重注意だけでまた家に戻されました。


誰も通報していなかったらしく、仮設に住んでいない母からの通報を不思議がっていました。


そして「また何かあったらすぐに電話してください」と言われたので「近くに住んでいる家族の方に連絡してくれませんか?」と言ったところ、「家族の問題には介入できないので。」と断られ、「何かあったら・・・」を繰り返すばかりで何か無いと何もしてくれないことがわかりました。


ダンナが10時頃に帰ってきて事情を説明し、いままでも娘に「そっちの部屋(おじいさん側)に行かないで!ドンドンしないで!忍者歩き!」と強めに言っていたこともあり、娘を離れたところに住んでいる姉のところに春休みは預けることにしました。


静かになると、仮設の人達が静かに外に出てきて、「この前、飲み屋の女の人に抱えられながら帰ってきた」「外壁に血の手形が付いていたのはベロベロに酔っ払って玄関が開いていると思い、ぶつかり、通路に転がった時に起き上がって付いたものだ」など、いろいろ伏線があったのかな、と思いました。


お酒はベロベロになるまで飲むらしく、帰ってくるときは、タクシーの運転手さんに抱えられて帰ってきていたので、私も気を付けるべきでした。


70代で週2でディサービスに行き、さらに週2で訪問介護の人が掃除洗濯をしているみたいで、車を運転し、酒もタバコも・・・ってすごいですが、介護認定制度って???になります。(これは私の個人的な考えです。間違っているとは思いますが、そう感じてしまいます。)


今日は寝不足でしたが、気持ちが焦るような(アドレナリンが出まくってる感じ)でお昼寝もできず、黙々とひたすら造花の部品を作ったり、娘が「お母さんが使っていいよ。」と置いていってくれたDS(マリオしかわかりません)をクリアすることだけに集中したりと、落ち着かない気持ちをどこかに持って行くのに必死でした。


引っ越すまで。ですね。