タキギ事件 | 震災後の海おんなのブログ

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震災からの記録です。

今度は薪を集め始めた。
相変わらず水道、電気は無く、ガスは外れてしまったので使えなかった。
さらに雪が降り寒く、どうしようもなかった。
この頃のみんな顔が茶色くなり(貧しい国でゴミを拾って生活している子供みたいに)フケがたくさん出て、唇の皮がむけて困った。不衛生だったのか栄養不足だったのか分からない。
うちでは浜の番屋のダルマストーブ用の薪があったが、それも流れてしまい、父さんは探しに行く旅に出た。
そこで思わぬ強敵が現れた。近所のじいさんである。
自分が割った形だから自分の薪だと。もはや神の域である。揉めていたが、最終的には父さんが言いくるめ(訳の分からない事を力説)し、勝ち取った。本当にどうでもいいことだけど。
この頃の父さんがの決め台詞は、
「教科書通りのヤツに何がわかる!俺はチリ地震を経験してんだぞ!文句言うな!」
だった。
頭がおかしい人に言われると腹が立つが、おかしいのだからしょうがない、と思うようにした。
ラジオで聞くとみんな同じ様な被害みたいだったが、南三陸はもっとひどかった。
旦那の地元であり、じいちゃん、ばあちゃんもいて安否も不明だった。
この後、もっと最悪の場所に行くとは思わなかった。