親というものはなんと偉大なものであろうか。
何をとっても足元にも及ばない。
22年4月6日 97歳で旅立ったおとうさん。
つい、最近まで、自宅でしっかり生活していた。
お母さん(姑)の13回忌までは、何が何でも頑張るんだと、その約束を去年はたして
寂しい1人暮らしに終止符をうった。
31歳で農事試験場の長に就任し、実に見事な完璧な人生であった。
稲の研究では、大臣から表彰され、鳥取大学の学会では全国から5名が選ばれたなかで堂々発表、大きな賞状と金杯を頂き、それは今も残っている。
今年は、都はるみさんが紫綬褒章を受けられるそうだが、その頃そんな制度があったらきっとお父さんも頂いたはずである。
公私に厳しく、朝は3時に起床、しらじらと明け始めると1時間の散歩。
夜7時半就寝が生涯のスケジュールだった。
道具を大切にされ、後かた付けには特に厳しかったけど、日頃はにこにこと嫁に優しいお舅様でもあった。
母が亡くなった後、甥の結婚式で東京に行った時、
「八重子(姑)に本当に良く仕えてくれたね。心から感謝しとったよ。
あれを何の悔いなく送り出す事が僕の一番の願いじゃったけんね。
ああたには本当に感謝しとるとよ。
何か形にしてああたに残したいんだけど、どうね、東京見物は・・・」
急ぎの仕事を持っている主人は先に帰して、私達は妹の家に,,
上げ膳、据え膳の真心からのお世話をうけ、2日間の東京見物に連れて行ったもらった。
浅草で「ここで正札で買うとはバカよ」と言った父だったが、
足に豆を作った私が靴を買うとき、財布から5,000円出して、
「この値段(正札)で買わんね」と付け足してくれた。
九州生まれの私達には 値ぎる 事は至難の技なのである。
実直な父らしいエピソードになってしまった。
結局、私は安く手に入った訳で、そんな風で東京見物はラッキーの連続だった。
お父さん、お母さんには会えましたか。
初ひ孫を抱いて下さった時、「かわいかろ~」と私が言ったら、
「うん・・・・・ばって博ちゃん(私の主人)が赤子の時は、漁師町で評判になるごと、
むぞかったとぞ・・・抱いて歩くと皆が寄ってきた・・・
頭の長かったけん毛糸の帽子を作ってやってね・・・
その頭のかっこうが僕とそっくり・・・うり二つで・・・
あげん可愛いか赤ちゃんには、ついぞ、お目にかかれんよ・・・」
あっけにとられる返事が返ってきたけど・・・
お母さんには お母さんが逝って14年の間に、博ちゃんが9人の優しいじいちゃんになっているよと報告してくださいね。
お父さん、お母さん、そして父ちゃん、私の母。
頑張っているけど、まだ褒めてもらえる私ではありません。
どうぞ、どうぞ、安心しないでこれからも、ご指導下さい。
いつも心の中で、話しかけていますから、どうぞ皆の事忘れないでね。
朝、晩に熱いお茶を大きな器であげて、ご冥福を祈っております。
お父さん、嫁いできて42年間、心配ばかり掛けて ごめんなさい。
本当にありがとうございました。