夕食のホッケ、
美味しかった。
今朝、ゆで卵🥚も食べた。
今日は3月1日、
81年前フィリピンのルソン島で亡くなった
祖父の命日。
祖父は2月29日生まれだから
閏年でない1945年では
誕生日に殉死したことになる。
民俗学の研究で
日本人のふんどしのルーツを探し、
フィリピンにふんどしをする民族がいると
朝日新聞特派員に志願した。
船で出発するとき
見送る2歳の娘を見て
物凄い後悔が襲ってきたそうな。
フィリピンでは、
現地民のお祭りや生活を写真におさめて
祖母へ送ってきたそうな。
1945年2月~3月
アメリカ軍はフィリピンを攻め
その後、沖縄を攻めた。
↓
戦争末期の1945(昭和20)年2月3日から3月3日まで続いた日米両軍の戦いで、日本軍約17000人、米軍約1010人に加えて、約10万人の市民が巻き添えで犠牲になったと言われる。
マニラ市街戦、
巻き添えになった10万人もの市民。
その後3月下旬、
沖縄では20万人の住民が犠牲に。
その犠牲の命の数の中に
祖父がいたのだ。
どれだけ後悔しても
船に乗ったら
引き返せないのだ。
日本も
乗っかってしまうと
アメリカの思う壺。
平気に日本を盾にして
中国やロシアと対峙させるだろう。
そのために
軍事化を要求するだろう。
アメリカの軍事産業が潤うだけ。
母は
戦没者遺族となり、
10年に1度、遺族年金を申請したら
年5万円ちょっとの年金を
5年間もらう。
母はよく
「4月になると、お父さんからお金がもらえるから」
と言う。
80年たっても。
今年は
オムツのパットをトイレにつまらせた
その修理代6万円近くを
お祖父さんの遺族年金でまかなうと。。
修理代や携帯代は保護から除外されるから
妹が立て替えている。。
遺族になんて
誰もなりたくない。
しかし、
たった5万円でも
父の記憶があまりない母には
「父からのお小遣い」なのだ。
遺族年金で
父と娘の繋がりを感じるなんて、
そんな悲惨な歴史を
絶対に繰り返してはいけない。
ベートーベンの曲のレコードを聴かせながら
母にミルクをあげていた祖父。
ベートーベンと戦没遺族年金、
あと
祖父が下関図書館に寄贈した祖父の著書、
それだけが
母が祖父を感じられるもの。
そんな母が
私達に雛人形を買うなんて
自分がされていないことを
するわけがない。
ピアノは憧れていたそうだが。。
来年こそ、
母と雛人形を並べて、
ひな祭りを楽しむ。
折り紙でなく、
母と私の雛人形を
私の誓い‼️


