保育園児だった頃には暴力は日常茶飯事で
素手ではなく物で殴られる
云う事を聞かなかった訳ではなく、寧ろ聞きわけの良い子供だったはず
何故なら反抗しようものならすぐに物が飛んで来るからだ
言葉の暴力も毎日で、
『お前なんか産むんじゃなかった』
『お前の顔は親父にそっくりで見てるだけで腹が立つ』
『どこか行って死んで来い』などなど…
小さな長屋で親子3人暮らしだったが、親父はあまり家におらず
大抵私と母親だけだった
怒らせると痛い目に遭う
↓
怖い、痛い
↓
やめてと云えない
↓
逆らえない
↓
我慢、ひたすら我慢
小2〜小5までは両親が出稼ぎに出ていて私はひとりで暮らしていた
定期的にお金だけが送られて来るのだ
参観日も運動会も勿論来ない
料理だけは小1の頃からちまちまやっていたので自炊して暮らしていた
長屋の隣に住むオッサンに性的虐待も受けた
つらかったけれどどこにも行く場所がないのでそこにいるしかなかった
向かいに住むMさん一家は何くれと世話を焼いてくれて、
おっちゃんもおばちゃんも優しくしてくれた
『海彦ちゃんはよう頑張ってるなぁ…偉いなぁ』とよく誉めてくれた
あのご一家には感謝しかない