今日は海津城です。

長野駅から車で20分くらい、川中島と同じ平地の端の方に、松代という街があります。

真田十万石の城下町と謳われるように、真田幸村の兄真田信之が1622年に上田から移封されてから、明治維新のころまで、真田家がずっと納めていたところです。

真田信之の移封シーンは池波正太郎著「真田太平記」のラストシーンに書かれております。12巻の小説を読み終わる最後の部分ということで、感慨深く読んだ記憶があります。


歴史小説と歴史の舞台が好きです。

上田に行った時もそうでしたが、真田家の人望に驚かされます。

松代は約250年間真田家が納めたそうです。いまどきそんなに有難がられる政治家はいないですよね。


私の好きな真田家に話がそれてしまいましたが、今日は海津城。

1560年頃に武田信玄が築城させたと言われております。


歴史小説と歴史の舞台が好きです。

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お堀が再現されておりましたが、全体にきれいに整備されている感じでした。

このお城が第4次川中島の戦いの武田軍本陣となっていたわけですね。


ここから、信玄は上杉謙信をだますつもりで、兵の半分を謙信が陣を構える妻女山の後方に向かわせ、謙信を川中島の河原へ引き出そうとしたところを、謙信に気づかれ、逆に先回りされた川中島で散々に叩きのめされるという憂き目にあいました。川中島でも一番有名な第4次の戦いですね。


信玄も謙信も戦上手と言われたもっとも有名な戦いですね。

それにしても実際に川中島に行くと平野はとても広かった。

あんな広い所で戦ったら、確かに思う存分走りまわれますから、大きな戦になるはずですよね。

新田次郎著の「武田信玄」を読んではおりましたが、実際にその場にいくとイメージが湧いて、とてもすっきりしますね。


そいういえば、海津城近くの真田邸には恩田木工の銅像がありました。

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こちらも池波正太郎著「真田騒動」に出てくる苦しい財政を立て直した名家老です。この方も地元では非常に人気の高い人のようです。私は小説を読んでいたので、名前を見てすぐにピンっときました。銅像になるぐらい有名な人だったことに少々驚きました。池波正太郎さんの本を読んでいないと味わえない不思議な感動でしたね。


松代は山に囲まれた小さく、のどかで、素朴な街でした。

長野駅から車で20分ぐらいでした。




今日は高遠城についてです。


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このお城は長篠の戦に敗れた武田軍が、最後まで織田・徳川連合軍に対抗したお城として有名です。

桜の名所としても有名ですよね。

長篠の戦に敗れた武田軍に見切りをつけ、織田・徳川軍に寝返る家来が多い中、最後まで城主仁科盛信は3000人の兵で5万人の織田徳川軍に抵抗し、全滅しました。1582年のことです。

武田軍の最後の意地を感じつつ、お城の敷地を歩いてきました。


このお城は武田信玄の嫡男勝頼が城主になったり、信玄の実弟の信廉が城主になったりしています。また山本勘助が改修したり、信玄の父信虎も高遠城で亡くなっています。最後まで戦った仁科盛信も信玄の五男です。

とにかく武田家とは切っても切り離せない因縁があるんですね。

甲府からはすごく遠いのに、信玄がいかにこのお城を重要視していたのかがうかがい知れますね。


本丸跡の近くから見た景色です。
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山奥のお城で、周りの街も小さなところです。

こんな山奥で何千人という人々の意地と意地がぶつかり合い、多くの命が失われたのですね。


東京方面からだと中央道 諏訪ICから車で30分ほどでした。

途中の道も田舎の田園風景が続き、癒されますよ。
甲府から北西に70~80kmぐらいのところです。



戸隠神社奥社に行ってきました。

某番組で江原啓之氏が最高のパワースポットだとお薦めしていましたね。

長野駅周辺から車で善光寺脇のわりと急な山道を登って、約30程のところにあります。


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古事記や日本書紀によると天照大神(あまてらすおおみかみ)が、天の岩屋に隠れたとき、神力でその岩戸を開けたといわれる天手力雄命(あまのたじからおのみこと)が祭られており、そのこじ開けた岩戸を投げ飛ばして、落ちた所が、この戸隠という場所らしいです。だから「戸隠」という地名なんですね。


ちなみに天照大神が岩屋に閉じこもったのは弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)があまりにもひどい乱暴狼藉を働いたためと言われております。(どんな狼藉なんだか?)

そして、閉じこもった天照大神に岩戸を開けさせるために岩屋の前で神楽を奏楽して、天照大神の気を引こうと提案したのが天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)。この人は戸隠神社中社に知恵の神として祭られております。

岩屋の前で楽しそうな神楽が聞こえてくると、岩屋に閉じこもっていた天照大神はほんの少し岩戸を開けてしまうんですね。そうするとその岩戸を天手力雄命を投げ飛ばして、天照大神は外に出てきたそうです。

なんだか神様も悩みが尽きないですね。

どおりで私の神頼みがなかなか通じないわけです。


さて奥社には入口の駐車場に車をとめてそこから約2kmの山道を歩きます。約30分掛りました。


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奥社に向かう参道の入り口付近はこんな感じです。とてものどかで平和な雰囲気ですね。

しかし、これが直後に大変なことになります。

私はGW中に行きましたので、街中は長袖一枚でも歩けるぐらいです。

それが・・・


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あっというまにこんな雪山に変わります。

皆さん、参道の様子にごまかされては行けませんよ。場所柄なのか、奥社付近の様子は誰も教えてくれません。GW中でも登山靴が必要なぐらいの雪道です。特に女性の方、履物には気をつけましょう。上着が1枚必要なのは言うまでもありません。


やっとの思いでたどりついた奥社はこんな絶景の下にあります。
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パワースポットということなので、しっかりお参りしておきました。

奥社の前から自分が登ってきた参道を見るとこんな感じです。


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奥社そのものは皆さんの目で直接、見てくださいね。

その方が有り難味があると思いますので。







武田勝頼が最後に織田信長に抵抗するために真田昌幸に命じて作らせた城が新府城です。

天正9年(1581年)頃の完成だそうです。

それまで武田勝頼が信玄のころから居た躑躅ヶ崎では織田信長の攻撃に耐えられないと考え、急遽

真田昌幸に命じて作らせました。



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私の尊敬する真田一族が作ったお城だけに、東側が塩川の天然の断崖に守られ、小高い丘の上にあり、

今行っても、真田昌幸のセンスの良さを感じられます。

しかしながら、築城して周辺を整備するにはあまりに時間が無さ過ぎた。この辺りは新田次郎著「武田勝頼」を

読んで得た知識ですが・・・

(個人的には同じく新田次郎著の「武田信玄」より栄枯盛衰が明確で面白かったです。)

恐らく周辺には街もお堀もほとんどなく、結果的には1年も経たずに織田軍に攻め落とされ、勝頼は死地を求めて、天目山の方へ逃れていくのでした。


新府城はガイドブックなどにはあまり書かれておりませんし、当然城としての形状は全く残っておりません。しかし、場所はしっかり、特定されており、何となくでもお城の全容は残されておりました。あまり期待せずに行ったのですが、勝頼の最後の生き残り策が何となく感じられて行ってよかったです。歴史好きにはお薦めです。

中央本線にも新府駅というのがあり、その近くです。


下の道路からはこんな階段をずっと登ります。よく見えないと思いますが、途中の鳥居の上にもずっと階段が続いております。


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この階段をずっと上まで登ると、本丸跡があります。


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ちなみに頂上付近の景色はこんな感じです。


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上に登ってから気づきましたが、緩やかな回り道もありましたので、女性にはこちらがお薦めです。その坂道には案内板もいくつかありました。



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少し離れて振り返るとこんな感じでした。


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長篠の戦に敗れた武田軍が最後に賭けたお城をぜひご堪能ください。甲府から北西方面に約20km程です。

こちらは信玄終焉の地の1つとされる長野県阿智村の長岳寺から国道153号で名古屋方面へ30分以上走ったところにある長野県根羽村にある信玄塚です。153号沿いなので、すぐに分かると思います。


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すぐ近くには信玄公を祭った神社もありました。こちらは周辺に民家も無く、戦国時代の頃は本当に山奥だったことが想像されます。


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こんな山奥を何万という軍隊が移動していると想像するだけでも、ちょっとワクワクしてしまいます。でもこんなところで、大将である武田信玄を亡くした軍隊がどのような想いで甲斐までの長い道のりを帰って行ったのか、そんなことを考えると、この後の歴史の流れが興味深いものになりますね。

信玄公は甲斐の国の危機を最初から分かっていて、自分の死を伏せるように部下に指示していました。勝頼以下はそれを守り、味方にも信玄公の死を伏せて、甲斐へ帰りました。

しかし、敏感な織田信長や徳川家康はその事実をすぐに感じ取ります。そして、武田軍に立ち直る隙を与えず、次々と攻めかかり、歴史の主人公の座を奪っていきます。

歴史って面白いですねーーー(^-^)/