
宮古の景勝地・東平安名崎(あがりぴゃうなざき/方言)に行ってきました。

東平安名崎は、日本百景に指定されてる宮古を代表する観光地です。
エメラルドグリーンの海の中をずーっと真っ直ぐに延びた細長い崎で、
先端には灯台があります。周りは見渡す限りの綺麗な海。
-miyakojima.netより

国土交通省 国土画像情報より転載
宮古島の中心街からみると、島の反対側、南東端に位置する東平安名崎は、
隆起サンゴ礁の石灰岩から成り立つ
長さ約2キロメートル、幅最大160メートル、標高約20メートルの細長い半島で、
「東平安名崎の隆起珊瑚礁海岸風衝植物群落」として
沖縄県の天然記念物に指定されています。

美しい海に突き出た隆起珊瑚礁の石灰岩を見ながら歩くと、
大きな岩があり、これが有名なマムヤの墓(岩陰墓)です。

岬に伝わる傾国の美女マムヤの悲恋物語
昔、保良村にマムヤという、それはそれは美しい娘がおりました。
マムヤは余りの美しさのため村の若者を始め、近在近郷の男達がマムヤを
一目見ようと人垣を作ったほどであるといわれております。
ある日、野城の按司、崎山の坊という人は魚釣りにことよせて
マムヤに会うことができました。
野城の按司といえば当時一国一城の主として
今の城辺地方を治めていた人であります。
彼は妻も子もありながら、マムヤに言い寄って来たのであります。
マムヤもだまされていることを知らずに、野城の按司、崎山の坊に
身を許すようになりました。
ある日のこと、崎山の坊はマムヤを連れておじさんの家を訪れ、
マムヤの美しさを自慢したのでございます。
「おじさん、わたしの妻のにおいは小便のにおいがするが、どうですか?
マムヤのにおいは香水のにおいだ」と自慢いたしました。
するとおじさんは、崎山の坊をさとして言われました。
「今はマムヤの方が良いのかもしれないが、年がたつに連れて、子供の
母親である君の妻の方が良いということにお前も気づくことでありましょう。」と。
このやりとりを聞いてしまったマムヤは、自分がだまされていることに気がつき、
おじさんの家を飛び出して東平安名岬へ身をかくしてしまいました。
マムヤは傷心のまま、東平安名岬の洞窟の中に身を隠し、
その中で機を織って一人暮らしたということであります。
野城の按司は、マムヤのことが忘れられず毎日毎日、マムヤを探して東平安名岬を
さまよい歩いたのでございました。そして、機を織る音を聞きつけて北側の岩壁に
立ちますと、音は下から聞こえてくるのです。下へ降りてみると、
今度は上から聞こえてきました。
不思議に思って探し回るうちに、とうとう崖の中腹にある洞窟の中に
機を織っているマムヤをみつけました。
マムヤは二度と会うまいと思っていた人に見つけられ、もはやこれまでと
崖のうえから身を投げたということであります。
そのときマムヤが身につけていた衣が岩の端に引っかかって、
北風が吹くと南になびき、南風が吹くと北へなびいて、
人々の哀れをさそったということでございます。
その後、野城の按司・崎山の坊は泣き暮らして政治を怠り、
野城に栄えた城も滅びてしまったと申します。
さてマムヤが身を投げて死ぬとき、自分が美しさの故に味わった不幸せを、
せめて村の娘達だけには味あわせたくないと思い、この保良村には美しい娘が
生まれないようにと神に祈って、身を投げたということでございます。
そのため、保良村には美しい娘は生まれないと言い伝えられておりますが、
いやいやどうしてどうして!
保良村は宮古でも一番美しい娘さんの多いところでもございます。
それでは、マムヤの願いは叶えられなかったなかと申します
とそうではありません。何事にも裏と表があるものでございます。
マムヤはこの呪いをかけた後、ただ一つだけ
呪いの除けの方法を残したと言われております。
それは、この東平安名岬の芝生の窪みにたまった水が満月を浮かべて
光り輝いている時、妊婦がその水を手ですくって飲むと、マムヤの呪いは
すべて消え去ると言うことでございます。
きっと、保良村のお母さん達は、満月の夜、我が子が美しくあれしかと祈って、
この東平安名岬で月を浮かべた美しい自然の水を飲んでおられることでしょう。
-宮古テレビより

つづく
当ブログの無断使用は禁止です。
メッセージにて確認をして下さい。その上で、
文章引用・画像使用の場合は出典元URLを明記して下さい。