近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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愛知縣護國神社にお参りに続き、日本100名城の一つ「名古屋城」へ。


名古屋城は、織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城
(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請に
よって築城したとされる。以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家
17代の居城として明治まで利用されました。

正門外側(再建)

正門内側(再建)

大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))(複製)
慶長十七年(1612)名古屋城天守が竣工した当時の金鯱は一対で慶長大判1940枚分、純金にして215.3キログラムの金が使用されたといわれている。高さは約2.74メートルあった。

復興天守(左奥)、西南隅櫓を見ながら西の丸を東に進みます。




西南隅櫓(国の重要文化財)
古くは未申櫓ともいわれ屋根二層、内部三階の櫓である。
外部に面した西・南両面には軍事用の「落狭間」(石落とし)を張り出して屋根は千鳥破風にし擬装している。 -案内板より

本丸への大手口、表二之門とその先に東南隅櫓が見えてきました。


清正の石曳き
天守の石垣普請は、加藤清正に割り当てられた。巨石を運ぶにあたり、清正自ら石の上に乗り音頭をとったと伝えられている。本像は、その様子を模したもの。
-案内板より

東南隅櫓(本丸辰巳隅櫓)国の重要文化財
辰巳櫓ともいわれ屋根二層、内部三階、屋根入母屋造り本瓦葺、白塗籠造りである。東・南二方には、張り出した「落狭間」(石落し)がもうけられている。この櫓は築城当時のものであり、鬼瓦には葵の紋が見られる。 -案内板より

東側から見た表二之門(本丸南二之門)国の重要文化財

二之丸御殿と能舞台
二之丸御殿は元和3年(1617)に竣工したと伝えられ、元和6年初代藩主徳川義直が本丸御殿より移った。藩主居住の殿舎であり、また政務を行っていた場所であることから「御城」ともいわれた。その後、多数の殿舎が造営された。
御殿内には「表御舞台」と「奥御舞台」という二つの能舞台が設けられ、藩主代替後の初入部の祝能、世嗣誕生祝能などが催された。また、尾張徳川家は多数の能楽師を抱えていた。
こうした歴史を背景として、平成9年4月、名古屋城正門南側に「名古屋能楽堂」が完成した。-案内板より

二之丸から見た東南隅櫓(左)と復興天守(右)

南蛮たたき鉄砲狭間
二之丸御殿北御庭の北端の石垣の上に東西に長く伸びた練塀の遺構である。この練塀は「南蛮たたき」で固められた非常に堅固なものであり、円形の鉄砲狭間が見られる。
名古屋城の遺跡としては、非常に珍しいもので貴重な文化財である。 -案内板より


「名古屋城」の二之丸付近は、旧「那古野城」です。


那古屋城跡
大永(だいえい)年間(一五二一〜二八)に、今川氏親が名古屋台地西北端(名古屋城二の丸あたり)に築いた城で、一名「柳之丸」ともいわれ、一族の今川氏豊を城主とした。
織田信秀は、天文七年(一五三八)この城を奪い、ここに居するが、同十一年(一五四二)頃に古渡城を築城して、この城を去り、以後、嫡子信長が居城したとされている。
弘治(こうじ)元年(一五五五)織田信長が清須に移った跡は、一族の織田信光がしばらくの間居城していたが、やがて廃城となった。 -案内板より

二之丸
特別史跡 名古屋城
名古屋城は、御三家筆頭尾張徳川家の居城であり、初代城主は、江戸幕府を開いた徳川家康の第九男義直です。慶長14年(1609)、家康みずから築城を決定し、翌15年に石垣普請が着工され、17年に大小の天守や各櫓が完成しました。普請を命じられたのは加藤清正ら西国の大名20名で、城内の石垣には目印として各大名が刻んだ刻印が多数残っています。
慶長20年(1615)に本丸御殿、元和3年(1617)には二之丸御殿が完成し、二之丸御庭、御深井御庭なども整備され、名古屋城は天下の名城としてその名をとどろかせました。
明治維新後、名古屋城は陸軍省の所管となり、名古屋鎮台司令部や兵舎がおかれましたが、明治26年(1893)に宮内省に移管され「名古屋離宮」となりました。昭和5年(1930)12月、名古屋市に下賜されると同時に国宝に指定され、翌年から一般公開が始まりました。昭和7年(1932)には、名古屋城全域が特別史跡に指定されました。
昭和20年(1945)5月、第二次世界大戦末期の空襲により、天守や御本殿など国宝建造物24棟が焼失しましたが、焼失を免れた3つの隅櫓と3つの門、空襲の直前にとりはずされていた本丸御殿障壁画1047面が、戦後重要文化財に指定されました。
昭和34年(1959)、天守閣と正門が、ほぼ昔どおりの外観で再建されました。
平成21年(2009)には本丸御殿の復元工事が始まり、平成25年(2013)に玄関・表書院部分が完成しました。現在も、平成30年(2018)の全体完成をめざし工事が進められています。 -案内板より
つづく
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