近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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寝ている間に雨はあがっていました。

76日目も元気に出発。

イイ天気の中、到着した先は「愛知縣護國神社」です。


ご祭神は、幕末の嘉永六年(1853)以降、先の戦争まで一命を捧げられた
愛知県ゆかりの御英霊9万3千余柱で、ございます。


手水舎と献水(マリアナ戦鎮魂)の碑
碑文
マリアナ戦 渇死兵五万 希一杓献水

神門の前、中央には「太玉柱」が建ちます。

太玉柱
終戦五十周年を機に、祖國・同胞・家族を護るため、身命を捧げられた愛知縣護國神社の御祭神九万参千余柱の神霊に、感謝の誠を杉の真柱(地上9.3メートル)に託し、これを太玉串として捧げ御英霊の遺訓を体し、今日まで祖國日本繁栄のため、盡瘁された先人をも顕彰し、恒久の和平と安泰を祈念して太玉柱を建立。 -案内板より


ブロンズの招魂社系狛犬(昭和三十六年(1961)八月建立)
沿革
明治2年5月尾張藩主徳川慶勝侯が、戊辰の役に戦死した藩士等二十五柱の神霊を、現在の名古屋市昭和区川名山にお祀りして「旌忠社」と号したのが始まりで、その後嘉永6年以降、先の大東亜戦争に至るまでの愛知県ゆかりの御英霊九万三千余柱を、護國の大神としてお祀り申し上げております。 神社名は、明治8年「招魂社」、同34年「官祭招魂社」、昭和14年「愛知縣護國神社」と改称、戦後一時「愛知神社」と称したが、同30年現社名に復称した。 鎮座地は、大正7年現在の名古屋市北区名城公園、昭和10年に現社地に御遷座。 同20年3月19日の空襲で御社殿は炎上したが、同33年11月本殿・拝殿等復興、同57年10月社務所竣工、平成10年3月神門・舞殿・廻廊が竣工し、戦災復興が完了した。 -愛知縣護國神社公式Webより

拝殿ない

神田
つづく
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