近畿・四国・九州・山陰 編 ~西へ~(1)1日目①は、→こちら
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曇り空で迎えた73日目の朝です。

まずは、伊根の街を通り抜け、舟屋を見ました。

陸側は、普通の田舎町ですが、

海側から見ると、

1階が船のガレージ、2階が居間となった独特な建物です。

海辺建ち並んでいるので、海に浮かんでいるかの様にも見えます。

新たな舟屋も建築されていました。


伊根町稲浦重要伝統的建物群保存地区
若狭湾に面した伊根浦は、日本海側は珍しく南に開けた静かな入り江であり、東、西、北の三方を山に囲まれている。
伊根浦と日本海の接するほぼ中ほどに、自然の築いた防波堤のように緑濃い青島が浮かんでおり、伊根湾の入り口を二分している。しかも、伊根湾の三方を囲んでいる急傾斜の硬い岩山は、そのまま海に落ちて深い淵をつくっており、波を起こしにくい地勢を形成している。また、伊根湾においては潮の干満差は極めて小さく(年間50cm程度)、静穏度の高い天然の良港といえる。
およそ350世帯で構成される伊根浦の集落は、延長約5kmにおよぶ伊根湾の海岸沿いに連続して細長く形成されている。
伊根浦を特徴付けるのは、海岸沿いに連続する舟屋群であるが、明治13年(1880)より昭和25年(1950)までのブリ景気によって、その多くが瓦葺二階建に建て替えられた。また昭和6年(1931)から約10年の歳月を費やして行われた府道伊根港線の拡張工事は、総延長約5kmにわたって幅員4mの道路を主屋と舟屋との間に敷設するものであり、これによってそれまで主屋と近接して建っていた舟屋や土蔵が海側へと移設され、多くの舟屋が二階建に変わっていった。しかしながら、その規模や形態については伝統が維持され続けてきた。
それ以後は大きな変化も無く、同形態・同規模で連続性のある舟屋群の景観が継承され、現在でも約230棟の舟屋が伊根湾の海岸おいに連続して建ち並び、歴史的風致を形成している。
舟屋や主屋等からなる江戸末期から昭和初期にかけての伊根浦の町並みは、伊根湾や青島及びこれらを囲む魚付林という周辺環境とあいまって独特の歴史的景観を今日に伝えている。 -案内板より



よく見ると、洗濯物と並んでイカが干してありました。





暫く走ると湾から出たのか、波のある海に。

つづく
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