人間関係では、沢山の問題が起きますよね。
そこでとっても大事な考えが「境界線」の概念。
要は、目の前にある問題は自分の問題か、相手の問題か、それを選別するということ。
相手の問題を抱えて、そこで起きる感情を処理しようと頑張ったり、自分の問題を相手に丸投げしてその問題を見ないふりをする。
相手の問題を抱える時は、役に立っているような満足感、相手に投げている時は、気楽な爽快感。
それが魔物であって、気がつかないうちにお互いの内面を蝕んでいく。
気がついたときには、お互いがお互いに依存することでしか立てなくなってしまい、相手が自分のために機能してくれないと生きることができなくなってしまう。
人間の骨の関節には必ず軟骨という物がありますよね。
あれは骨と骨との衝撃を緩和してスムーズに骨が動くようになるとても大事な機能ですよね。
その軟骨がすり減ってお互いの骨同士が擦れ合うと地獄のような痛みと苦しみが起きる。
だから我々も人との境目には軟骨のような考えを置いて、相手との関係をスムーズに生きやすくしたいものですよね。
人という字は。なんて金八先生のセリフが多くの人を迷いの中に連れ込んだのではないでしょうか。
人という時はささえ合うんじゃなくて、きちんとまっすぐ自分の力で立つのが当然だ。その気持ちを持った者同士が並ぶ。
それが本来の幸せ。なんだと思う。
そうして自分の力で立ててこそ、相手に支えてもらえることに愛情を感じられる。
自分で自分を立たせて生きる。これがは自分で稼ぐお給料。
他人からの愛情は臨時ボーナスであって、それはその相手の心の財布から差し出してくれる、貴重な優しさなんですね。
相手の心のお財布の愛情や優しさをお給料にしてしまうと、毎月きっちり欲しいだけ相手からもらわないと生活できないですよね。
それはお互いに苦しい。
共依存とは、相手の心の財布の愛情を自分のお給料にして満足してしまう依存と、自分の財布の愛情を相手の為だけに使って満足(心のどこかでは苦しんでいる)しまう愛情。
それを愛だと勘違いしてしまうとその絡み合った苦しみからはなかなか逃れられなくなってしまう。
自分の問題を自分で解決することが絶対のベースにできたら、お互いの優しさや愛情が本来の役目をしてくれるはず。
目の前にある問題が誰のものなのか。
それが生きるヒントですね。
やりたいことをやって生きたいように生きよう。
それが世界を愛で満たす。
