川柳葦群「葦の原」推奨作品(74号より)
梅崎 流青選
俯いている間に春が通り過ぎ 福田 英子
長生きを思う日もある春の道 淡路 放生
流れ着くところで丸くなった石 渡辺 遊石
夜桜の下ではひとは死にやすし 鈴木 和枝
片足はすでに冥府に向いている 木本 朱夏
正解が出るまで櫂は放せない 西 惠美子
取り敢えず寝よう明日はきっと来る 渡邉 荘輔
終章は乱れてみたい亀である 植村 克志
おとなしい薬指から諭される 砥川 房代
焼芋くるむ新聞に餓死の文字 相原あやめ
老いてゆく夢を見ていただけなのに 柴田 美都
屋根があり食べる物あり飢えている 荻原 鹿声
一枚の鱗が水を恋しがる 平井美智子
古代から時どき降ってくる火の粉 清水美智子
認印冷たい紙に捺した春 横尾 信雄
じゃが芋の花へ宿らすボクの生 野川 清
人形に生気奪われそうな部屋 北村あじさい
川柳葦群ノート (74)
梅崎 流青
風土性
先人のいう「願わくは花の下にて」とか「桜の下には死体が」とさくらには人を引き付ける何かがある。と同時に「来年のさくらが見たい」との願望は日本人共通のものでもあろうが年ごとにそれはいや増す。それだけ私自身年齢を重ねたからでもあろう。
例えばあの阿蘇には大きな一本桜があり毎年その下で深呼吸をしたものだが今はそれも叶わぬ遠出となった。
数多の花の中で散る花にこれ程感情移入できる花はやはりさくらが筆頭であろう。「三日見ぬ間のさくらかな」とこの世を重ね合わせた意味合いもあるがその潔さに武士やあの大戦時には軍人(いくさびと)の鼓舞にも遣われた。
この桜前線、やはり日本列島は長い。約40日をかけて北上する。この前線を待つ心情に北も南もその思いに大差はないと思うが10月から翌4月まで雪の白に埋もれた大地の桜花には一入のものがあろう。
青森で生まれた文化の一つに「小巾刺し」がある。藍染の麻布に白い木綿糸を刺して作られ主に作業着に用いられるが雪の日々、さくらを待ち侘びる思いはとても私の住む九州では及びもつかぬものであろう。
「あの山の雪が解け馬の形になったら種籾の準備」という北国の話は私の想像を豊かにする。このことを体現するそれらの川柳に出会うと自然に居住まいを正す。
それら暮らしの中から生まれたものが私たちの川柳でもある。その集大成、句集を送っても返事を頂けぬ人の何と多いことか、と嘆きの一文が他誌に出ていた。
だが、困ったことに著者の連絡先の明示がない場合に出くわす。句集が、ある出版社から送られその出どころはそこしか書いていないのだ。
先日、その訳が知りたく出版社に電話を入れた。著者住所は個人情報でこの時世、情報秘匿の理由からだという。ただ、著者の希望があれば住所も明示する、との答え。
私は句集に限らず生まれた文化はそれを鑑賞する受け手の相互で完成するもの、と考えるがこれでは句集の読み手の思いを伝えようにもその手段がない。川柳作品の風土性も鑑賞の大切な部分だがこの出版社からの句集はどれもがいわゆる「個人情報」優先。
川柳句集という自己表現の集大成に「私はここにいます」の存在証明は川柳作品の鑑賞や解釈の重要な手がかりとなる。そのことを申し上げて受話器を下ろした。
近詠
しんと独り箸を汚さず葬の飯
子守唄貧で始まるものがたり
ろうそくの芯を伝ってくる妬心
指反らす少女何かを企みぬ
憎い背に届かぬ草矢射る今日も
梅崎 流青選
俯いている間に春が通り過ぎ 福田 英子
長生きを思う日もある春の道 淡路 放生
流れ着くところで丸くなった石 渡辺 遊石
夜桜の下ではひとは死にやすし 鈴木 和枝
片足はすでに冥府に向いている 木本 朱夏
正解が出るまで櫂は放せない 西 惠美子
取り敢えず寝よう明日はきっと来る 渡邉 荘輔
終章は乱れてみたい亀である 植村 克志
おとなしい薬指から諭される 砥川 房代
焼芋くるむ新聞に餓死の文字 相原あやめ
老いてゆく夢を見ていただけなのに 柴田 美都
屋根があり食べる物あり飢えている 荻原 鹿声
一枚の鱗が水を恋しがる 平井美智子
古代から時どき降ってくる火の粉 清水美智子
認印冷たい紙に捺した春 横尾 信雄
じゃが芋の花へ宿らすボクの生 野川 清
人形に生気奪われそうな部屋 北村あじさい
川柳葦群ノート (74)
梅崎 流青
風土性
先人のいう「願わくは花の下にて」とか「桜の下には死体が」とさくらには人を引き付ける何かがある。と同時に「来年のさくらが見たい」との願望は日本人共通のものでもあろうが年ごとにそれはいや増す。それだけ私自身年齢を重ねたからでもあろう。
例えばあの阿蘇には大きな一本桜があり毎年その下で深呼吸をしたものだが今はそれも叶わぬ遠出となった。
数多の花の中で散る花にこれ程感情移入できる花はやはりさくらが筆頭であろう。「三日見ぬ間のさくらかな」とこの世を重ね合わせた意味合いもあるがその潔さに武士やあの大戦時には軍人(いくさびと)の鼓舞にも遣われた。
この桜前線、やはり日本列島は長い。約40日をかけて北上する。この前線を待つ心情に北も南もその思いに大差はないと思うが10月から翌4月まで雪の白に埋もれた大地の桜花には一入のものがあろう。
青森で生まれた文化の一つに「小巾刺し」がある。藍染の麻布に白い木綿糸を刺して作られ主に作業着に用いられるが雪の日々、さくらを待ち侘びる思いはとても私の住む九州では及びもつかぬものであろう。
「あの山の雪が解け馬の形になったら種籾の準備」という北国の話は私の想像を豊かにする。このことを体現するそれらの川柳に出会うと自然に居住まいを正す。
それら暮らしの中から生まれたものが私たちの川柳でもある。その集大成、句集を送っても返事を頂けぬ人の何と多いことか、と嘆きの一文が他誌に出ていた。
だが、困ったことに著者の連絡先の明示がない場合に出くわす。句集が、ある出版社から送られその出どころはそこしか書いていないのだ。
先日、その訳が知りたく出版社に電話を入れた。著者住所は個人情報でこの時世、情報秘匿の理由からだという。ただ、著者の希望があれば住所も明示する、との答え。
私は句集に限らず生まれた文化はそれを鑑賞する受け手の相互で完成するもの、と考えるがこれでは句集の読み手の思いを伝えようにもその手段がない。川柳作品の風土性も鑑賞の大切な部分だがこの出版社からの句集はどれもがいわゆる「個人情報」優先。
川柳句集という自己表現の集大成に「私はここにいます」の存在証明は川柳作品の鑑賞や解釈の重要な手がかりとなる。そのことを申し上げて受話器を下ろした。
近詠
しんと独り箸を汚さず葬の飯
子守唄貧で始まるものがたり
ろうそくの芯を伝ってくる妬心
指反らす少女何かを企みぬ
憎い背に届かぬ草矢射る今日も