子供の頃、普段の何気ない日常の中で、あれ?この場面知ってるよなぁ、この場所知ってるよなぁ、こんな会話したよなぁって事がわりと頻繁にあった。
それって、皆そんなものなんだろうなぁと思っていた。
そして、予感的な危機回避能力に長けていた。
危ない場所、危ない人を感覚的に感じるというのか、なんとなく気持ちが悪いと言うか、居心地が悪いというか言葉で上手く言えない直感的なもの。
それらは育ってきた環境による、自分を守るための危機回避能力だからだろうなぁと思っていた。
奔放な若い母に育てられ、育てられたからかなぁ…?と
若い母は、父と別れ、自分で私を引き取った。
でも、余裕はなく祖母や親戚に預けられた。
人が聞くと、「可哀想、苦労されたんですね」となりがちだけど、私は楽しくて、幸せだった。
親戚の家が大きくて、その家に間借りしているバアちゃん達が3世帯いた。
大きな家の裏にも隣にも賃貸の長屋があって、そこにも4世帯の家族が住んでいた。
私には血縁ではない、おばあちゃん達や姉妹や兄弟などがたくさんいて、可愛がられていた。
一人っ子なのに、大家族だった。
そして、奔放な母の気まぐれで急に2人暮らしになることもあった。2人ではないかも、おじさんもいて3人暮らしになることもあった。
そんな時間は地獄だったように思う。
その頃位かなぁ?危機回避能力で自分を守るようになってきたのは?
嫌な予感がする…、奔放な母の暴言暴力の始まりの予感…みたいな?
だから、そうなる前に顔色をうかがい、喋りかけるタイミングをはかったり。
でも、これってただ単にドヤられるのを回避するためだけの顔色うかがいなのかも?
私が中学生位になると奔放な母よりも体力的にも勝てるようになり、顔色や、空気を読んでまで機嫌は取らなくなった。
その頃には奔放な母は躁鬱となり、精神薬に依存しボロボロになっていた。
躁時の攻撃力、鬱時のどんよりさが激しく、辟易していた。
鬱時は危険はないが、躁時には安心して寝てはいられなかった。ハッ!とした瞬間、奔放な母は泥酔し包丁を持ち、立っていた。自分が苦しいときにあんただけ幸せになるなと喚いていた。
で、目覚めたら覚えていない。
鬱になると、しがみつき煩わしかった。
あんただけが幸せになるのは嫌だと言われた。
そんな奔放な母はある日突然、虚血性心疾患により急逝。
私は34歳になっていたから、何も困ることもなく、むしろホッとした。
あの奔放な母の介護をせずに済んで良かったと心底思った。
第一印象で人の善し悪しを感じ、関わる人を選んできた。
なんとなく気が進まない場所や計画を上手く回避してきた。
嫌な感じがした人、場所、物事、それらに関わった人から後日談を聞くと、良かった巻き込まれなくてという事が多々ある。
これってもしかしたら、第六感的なものかも?
運が良くて、死なずに済んだ事が数回ある。
人との縁を感じる瞬間もかなりある。
ふと、急に気にかかる人に連絡を取ってみたら、
辛くて辛くてたまらなかったのに、何で今急に連絡してくれた?と相手にとって絶好のタイミングだったりする。
22日生まれ、スピリチュアルナンバー11
手相などを見る方々からは大体同じことを言われる。
私には悩みはないらしい。笑笑
というか、普通なら悩むであろう事を悩む事がなく、回り道はするとしても必ず成し遂げるからこのままで良いと言われる。
なるようにしかならないし、なるようにやってるからどうにかなる。昔っからこんな考え方。
50を越えてから、会いたいと思った人には会う事にした。
会いたいなぁと思っていると、必ず会えるタイミングがきてくれる。
その時に実行するかしないかは自分次第。
縁があれば出会う。
合縁奇縁。
仕事においても、合縁奇縁。
縁あって、出会いつながる。
縁がなければ、出会ってもつながらない。
スタッフ、関わる事業者、利用者、利用者家族。
正直な話、選びます。
先方も選ぶと思いますが、私も選びます。
第六感に従って選んでいます。
自分の人生も相手の人生も大事だから選びます。
利用者さんについては特に選びます。
正直、利用者さんにとってそう長くはない人生の終盤に出会う介護関係者は重要です。
90年近く幸せに生きてきたのに、最後の1日が地獄のようだったら?
今までがなくなってしまう。
だから、私には責任があります。
生きてきて良かった。と最期に思ってもらいたい。
あの奔放な母のおかげなのかもしれないですね。
22日に生んでくれ、あんな日々を体験したからこそ第六感が磨かれた。
あの日々があったから、人の気持ちに想いを馳せ、色々な生活パターンを想像できる。
今となって、やっと感謝です。
あと数年で、奔放な母が急逝した年齢を越えます。