語られざるもの | ガイアからテラへ 宇宙の愛をあなたに    ハッピーになるメッセージ

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osho

この世が問題なのではない。

この世は途方もなく素晴らしい。

それは純粋な喜びだ・・それには何も悪いところはない。

あなたの中の何かが間違っている、この世の何かではない。
...
自分の中の間違っているものを捨てなさい。

この世を放棄してはいけない。

私はこの世を放棄することではなく、それを祝うことを教える。

私は生を肯定する。

しかも無条件に肯定する。

そしてあなたに言おう。

あなた達に放棄を説く者は害をなす者であり、

最初の最初から、彼らは全く間違ったことを教えているのだと。

彼らは、この世の何かが間違っていると言う。

彼らはそれをマーヤと呼ぶ。

私はあなたをマーヤと呼ぶ・・この世ではない。

だから、もし何かを離れたいなら、自分自身を離れなさい。

何かを放棄したいのなら、自分を放棄しなさい。

そしてその為の唯一の方法、自分自身を放棄する為の唯一の方法は
、祝うことだ。

なぜなら、あなたが幸せである時にはいつでも、あなたは存在しな
いからだ。

いつであれ、あなたが塞いでいる時に、あなたはいる。

あなたが喜んでいる時にはいつでも、あなたはいない。

至福の中では、歓喜の中では、人は消える。

踊りなさい!

踊りが本当にあなたを捕らえた時、そこに本当に踊りがある時、

そこにはもう踊り手はいない。

踊り手は消えてしまう。

彼は存在しない。

瞑想とは、肉体ではなく精神に起こるより深い死だと言ってもいい


osho

瞑想とは冒険、未知なるものへの冒険・・

人間のマインドが為しうる最大の冒険だ。

そして、冒険という言葉で私が言いたいのは、
...
そのなかで人格を陶冶(とうや)することはできないということだ


まず第一に、前もってそれについて知ることは一切できない。

実際に体験しない限り、それを知ることはできない。

語ることができることはみな、しょせん取るに足らないことばかり
だ。

真理は語られずに残る。

多くのことが語られてきた・・

取るに足らないことについては多くのことが語られてきたが、

真の言葉は、ただの一語も発せられてはいない。

実際に体験しない限り、それを知ることはできない。

だが、それに関する事柄を指し示すことはできる。

それが要点をつくことは決してない、それはありえない。

ものごとの本性からしてそれは不可能だ。

これが瞑想だと言うことはできない。

言えるのは、これは瞑想ではない、あれは瞑想ではないということ
だけだ。

言われずに残るものがある・・が、それは指し示されないまま残さ
れる。

それには多くの理由がある。

瞑想とはマインドよりも大きな何かだ。

それはマインドの内部で起こるものではない。

それはマインドの内部ではなく、マインドそのものに起こる何かだ


さもなければ、マインドはそれを定義することができる。

マインドはそれを知り、理解することができるだろう。

それゆえに、それはマインドの内部ではなく、

マインドそのものに起きる何かだ。

その出来事は、生に起こる死に似ている。

死は決して生の内部では起こらない。

死は生そのものに起こる。

瞑想とは、生に対して死が起こるように、

マインドに対して起こる死に似ている。

瞑想とは、肉体ではなく精神に起こるより深い死だと言ってもいい


そして、その死が深ければ深いほど、

生まれ変わる可能性もより深くなる。

肉体が死んでも、あなたの肉体は生まれ変わる。

だが「あなた」に関する限り、まったく何も起こらない。

変化はまったくない。

あなたは同じままだ・・

同じものが継続し、あなたは古いままだ。

だが、死が深ければ深いほど、復活も深くなる。

心理的に死ぬ場合、マインドが死ぬ場合には、

「あなた」が生まれ変わる。

だが、その再誕生は肉体の再誕生には似ていない。

なぜなら、肉体は、死ぬと取り代えられる・・

つまり、新しい肉体がそれに取って代わるからだ。

だが、精神的な死、霊的な死が起こる場合は、

マインドが取り代えられることはない。

今や意識はマインドなしで存続する。

瞑想とはマインドのない意識・・

周囲に壁を持たない開け放たれた空だ。

家の壁を壊すことはできても、部屋の空間は壊せない。

なぜなら、部屋は空間にほかならないからだ。

壁のない部屋は、空っぽの空間になる。

それは広大な空の下にある。

もちろん、境界を定めることができないので、

もうそれを部屋として見ることはできない・・

それは空とひとつになっている。

だが、部屋の空間は、今まで以上にそこにある。

ただ壁がなくなっただけだ。

部屋を「空っぽの空間」、

壁と壁のあいだの虚空として定義するなら、

壁がなくても部屋は依然としてそこにある。

それどころか、今までよりも大きく、無限になっている。

だから、マインドが死ぬと・・

つまり、マインドという壁が消えると・・

壁のなかの虚空、この空間が残り、

今までよりも大きくなる。

それが意識だ。


私には、その新しい人間が地平線上に、すでに現れているのが見え
る。