こんにちわ
読んでくださりありがとうございます。
新年から浄化の嵐が吹き荒れ
ちゃぶ台をひっくり返してしまいそうなほど
怒りの感情がありました。
ないことにしていたけど
あったんですね・・・
もちろん普段は全く気が付かなかったけど
自覚してしまったら内側に取り扱い注意の爆弾を抱えてるみたいになって
何がきっかけで爆発してしまうか分からないし
関係ない人にまで危害を及ぼすかもしれないから
心の奥の奥に厳重にしまい込んであったんだと思います。
それはおそらく私だけのものではない・・・
それは集合無意識に繋がっていて
根っこは共有のものだと感じています。
だからこそ個人ですべて浄化しつくすことはできない・・・
それでも自分の今世、前世、先祖の部分をクリアにするだけでも
全然違うとは思う。
その自分の意識の及ぶ範囲に光をあてていくという作業を
私はしていたんだと思う。
それを変えようとするのではなく
ただそこに意識の光をあてる
ただ真実を見ようとした。
結果とても残念なことが判明した。
私は長いことずっと好きだった人のことを
実際には見ていなかった。
失恋して鬱になったと思っていたけど
それも違った。
長い長い暗闇の時間を
自分の妄想の中で過ごしてしまった。
核心から逃げてしまう私の
当然の結果ともいえるが
痛すぎる。
私はありのままのその人を見ていなかったし
ありのままのその人を受け入れられてもいなかった。
その人の本質を見ようともしていなかった。
その暗闇の時間は
もっと他のことでも苦しんでいて
その方が大きくて
私に絶望を与えてくれた。
そして私はその絶望から
小さくても自分でできることを始めようって決めて
「アマテラスプロジェクト」と名前を付けた。
その直後に私は私の考えていることよりずっと先をすでに行動に移している場所に出会い
学び始め、日々これが私の探していたものだと実感するたび
少しずつ癒されたと思う。
だけど私はもだ物事をありのままには見れていない。
真実を知るのが怖いって思ってしまう部分もある。
そして過去の未消化な感情に今向き合わされている。
もうそれは強制的にという感じなのだが・・・
そして今、過去の出来事を体験している感じがする。
私はそこにいなかったんだと思う。
いろんなことが重なり過ぎて
自己防衛本能がはたらいたんだと思う。
あの頃は不登校の8歳の息子がいたし
私がメンバーになりたかった
エコビレッジではトップが多くの女性と関係をもっていることが
明らかになって大変なことになってしまった。
週刊誌に掲載されたり
このブログさえ引用されてしまい
そのことが今も尾を引いている。
そんな中、私は本当に向き合うべきことから逃げたんだと思う。
怖かったから。
そして未解決の感情をサバイバルするためにしまい込んだ。
きっとちゃんと向き合うことができる日がくるまで。
あの頃は確かに大変だった。
でもほとんどの問題が過ぎ去った今でも
私はありのままに物事が見れていない。
多くの人もそうだと思うけど
私は特にその傾向が強い。
とてっも参考になったOSHOの言葉
一部抜粋
マインドは決して
自分がいる所にはいない。
覚めているとは
常に自分がいる所にいることだ。
このいつも旅に出ている
マインドのために
人は決して
実在に触れることができない。
食事をしても、
その食事を見逃す。
その香り、味、匂い……
それを見逃す。
そうなんです。
ご飯食べてる時も
味わえてない
何かしなくちゃ、このままではいけないっていう衝動で
私は今にいることができない。
そして今チャレンジしている。
どんなものでも、
悲しみでも怒りでも、
それが何であろうと、
憂鬱であろうと不幸であろうと、
それとともにいてみるのだ。
すると突然、
自分が悲しみとともに止まれば、
その悲しみが
ある美しいものに
変化することを知って、
悲しみが深みとなることを発見して、
あなたは驚くだろう。
自分が怒りとともに止まれば、
それについて考えるのではなく、
ただそれとともにいれば、
その時怒りは変容する。
その感情と一緒にいることを。
ゆっくりと少しずつ
心臓の周りにこびりついている
暗く重くまとわりつくような粘着質で密度が高い何かが
流れ出している。
それは私の内側の塞いでいるなにか。
残念ながらそれはゆっくりで
でも確実に変化している。
まっさらな自分になれたら
ありのままに物事に向き合えるようになれたら
素直な気持ちで微笑めるのかな
失うことの恐れに負けないで。
ある女性の話を
聞いたことがある。
彼女は哲学者、
思想家だった。
何冊もの本を書いており、
非常に著名な人だった。
ある時突然、
友達に自分は
結婚するつもりだと宣言した。
それまで
彼女の恋愛の噂など
一度もなかった。
考える人は、
決して愛さないものだからだ。
誰一人当人に
結婚するつもりがあるなどとは
思っていなかったので、
みんなは驚いた。
「いったい相手は誰です」
と友人は尋ねた。
彼女がみんなに
その名前を告げると
みんなはますます驚いて言った。
「あんな男のどこがいいんですか」
その男はごく普通の人だったが、
こちらは有名な婦人だった、
大学の教授で
たくさんの本を書いており、
名前は国中に知れわたっていた。
「あんな男と、
どうして、
彼のどこがいいんです」
彼女は答えた。
「ひとついいことがあるのよ。
あの人は
旅まわりのセールスマンなの。
決してここにはいないわ。
いつでも旅に出ているでしょう」
思索家はいつも
旅まわりのセールスマンと
結婚している。
「彼は決して
ここにはいないでしょう。
だから私は、
自由に考えたり、
自分の仕事をしたり
できると思うんです」
マインドと結婚するのは、
セールスマンと結婚することだ。
いつも旅に出ている
旅まわりのセールスマンと。
そして、
このいつも旅に出ている
マインドのために
人は決して
実在に触れることができない。
食事をしても、
その食事を見逃す。
その香り、味、匂い……
それを見逃す。
ただ、
口の中に
ものを投げ込み続けるだけだ。
それは醜い。
だが、
なぜ人は見逃すのか。
マインドが考え続けるからだ。
食べている間も、
人は、
千とひとつのことを考えている。
臨済は
「私が 食べる時は、
ただ食べるだけだ。
そして私が眠る時は、
ただ眠るだけだ」
と言う。
ある者が言った。
「しかし、
そんなことは、
何も特別なことではありません。
誰だってしていることです」
臨済は笑って言った。
「もし誰もがそうしているなら、
誰もが仏陀だ。
それなら誰もが悟っている」
食べる時は、
ただ食べなさい。
それとともにいなさい。
歩く時は、
ただ歩きなさい。
そこにいなさい。
先に行ってはいけない。
あちこち
跳ね回ってはいけない。
マインドはいつも
先に行くか、
後に遅れるかする。
その瞬間に止まりなさい。
初めのうち、
その瞬間に止まることは
難しいだろう。
そして時には、
その瞬間は
あまり楽しくはないかも知れない。
あなたは腹を立て、
そのことでマインドは
後悔の思いを持ち始める。
あるいは、
もう二度と
腹を立てたりしないように、
何かをやってみようとする。
時には悲しいこともある。
そこで
ラジオやテレビの
スイッチを入れたり、
本を読み始めたりする。
悲しい気持ちではいたくないからだ。
気分を転換したい。
そして、
幸せな瞬間よりは
惨めな瞬間の方が多いものだから、
これが普段の習慣になる。
そして
それが身についてしまうと、
幸せがやって来た時にさえ
あなたは家にいない。
あなたは別な所にいる。
こうしてみなさい。
どんなものでも、
悲しみでも怒りでも、
それが何であろうと、
憂鬱であろうと不幸であろうと、
それとともにいてみるのだ。
すると突然、
自分が悲しみとともに止まれば、
その悲しみが
ある美しいものに
変化することを知って、
悲しみが深みとなることを発見して、
あなたは驚くだろう。
自分が怒りとともに止まれば、
それについて考えるのではなく、
ただそれとともにいれば、
その時怒りは変容する。
それは許しになる。
もし
セックスとともに止まるなら、
セックスは違った質を持つことになる。
それは愛になる。
もし
あなたが
瞬間とともに生き始めたら。
その‘ともにある’ということが
ひとつの奇跡であるのが
分かるだろう。
それには魔法の力がある。
幸福はより深いものになるだろう。
通常は、
あなた方の幸福は
ほんの表面だけに過ぎない。
内面深くには、
何百万もの問題をかかえている。
幸せは、
ほんの表面に過ぎない。
もし、
あなたが
それと一緒に止まったら、
それはより深く深く深く
なっていくだろう。
もし
あなたが
それとともに生き始めたら、
あらゆることが変容する。
それは、
あなたが
ある新しい実存の質を、
意識しているという、
見ているという質を
持ち込むからだ。
悲しみと闘ってはいけない。
幸せを追い求めてはいけない。
それは離れていくこと、
横道に逸れて行くことだからだ。
こんなことに
気がついたことがあるだろうか。
休暇でヒマラヤとか
スイスに出かけるとなれば、
そこまで行くために
数ヵ月の間計画を練る。
ところが、
そこに到着した瞬間、
マインドはもう、
いつ出発するか、
どうやって帰国するかを
考え始めている。
いいかね…
何ヵ月もの間
どうやって行き着くかを
計画していたのに、
着いた時には、
あるいは到着する前から……
まだ 途中なのに…
マインドは 帰り始め、
帰国の計画を立てている。
あなた方がどこに到着しても、
それは単に
出発の始まりに過ぎない。
あなた方は決して‘そこに’いない。
そこにはいられないからだ。
帰国すれば再び考え始める。
家に帰ると
ヒマラヤで何が起こったか、
どんなに素晴らしい経験を
して来たかについて
考え始めることになる。
ところが、
あなたは
一度も‘そこに’はいなかったのだ。
ちょうど、
それに関する本でも
読んだようなものだ。
誰かがあなたに
話してくれたことでも
あるかのようだ。
あたかも
記憶がひとりでに
動き出すかのように、
記憶をまさぐる。
記憶は写真を撮り、
一冊のアルバムになる。
家に帰って
そのアルバムをひろげて眺める。
そして友達に言うだろう、
「美しかった」と。
そして、
また計画を立て始める。
来年もう一度
ヒマラヤへ行くつもりなのだ、
と。
マインドは決して
自分がいる所にはいない。
覚めているとは
常に自分がいる所にいることだ。
もっともっとマインドを、
そして思うことを落としなさい。
もっともっと意識して、
油断なく覚めていなさい。
この瞬間に
自分自身を連れて来なさい。
初めは難しい。
これまでの癖で
マインドは何度も何度も
逸れて行くだろう。
それを引き戻しなさい。
闘う必要はない。
ただ「おいで」と呼び戻すのだ。
それはまた跳び出すだろう。
何秒もたたないうちに、
それはもう
そこにはいないだろう。
また、
それを呼び戻すといい。
するとやがて、
あなたが
この瞬間を楽しみ始めると……
この永遠の今を、
存在する唯一の時を、
存在する唯一の実存を、
存在する唯一の生命を……
あなたがそれを楽しみ始めると、
マインドはもっともっと
それに近づいて来るだろう。
マインドはますます、
少なくなって行くだろう。
すると、
ある同調が起こる。
突如として、
あなたはここにいる。
自分の家に。
そして実在が顕れる。
実在はいつもそこにあった。
あなたが
そこにいなかったのだ。
求められなければ
ならないのは
真理ではない。
家に連れ戻されなければ
ならないのは、
あなたなのだ。
Osho - Neither This Nor That
