2024.7.27
岡山県井原市・浅口市 御朱印めぐり③ です
吉備大臣宮のあとは倉敷市に足を伸ばして…
羽黒神社をお参りしました
御朱印帳をお預けしているので、
羽黒神社の記録は戻ってきてからまとめようと思います
羽黒神社をお参りしたあとに向かったのは、
真止戸山(まとべやま)神社です。
羽黒神社からは車で15分ほど
吉備大臣宮からは25分ほどかかるようです
県道431号線沿いにあります
県道なのですが、車1台分の道幅で
離合場所はありましたが少し緊張しました
県道を挟んで反対側には、
真止戸山神社の摂社 向日神社があります
木々が茂って清々しい参道でした
さっそく真止戸山神社のお参りへ
木陰ではありますが…
暑すぎて階段が長く感じました
狛犬さま
素盞嗚尊
➵御由緒
当神社は、奈良時代光仁天皇宝亀2年(771)に、吉備真備公が播州広峰神社(兵庫県姫路市)から勧請して本神社を創建した。
当社に対する池田家の崇敬は厚く、当地きっての古社として領内において特に選んで祈願所とした。
その昔、備中一円へ守護の神札を授与していたとも伝えられている。
また、池田光政公による寛文年間の寄宮(よせみや)により、浅口郡西八ヶ村の1541社が当神社内住吉神社に合祀される。
明治43年更に村内の神社を合祀して一村一社となる。
尚当時は、寄島町安倉地区が六条院西村の飛び地であったため、当社は安倉地区の氏神でもあり、合祀前四神社に安倉八幡神社を加えた五社巡りの神事の記録もある。
当初、当社は牛頭天王宮(ごずてんのうぐう)と称したが、明治初年地区名により真止戸山神社と称する様になる。
昭和6年に社殿を整備し郷社となる。
その後昭和17年不慮の火災により、「天に向かってそびえ立つ」とも言われた檜皮葺屋根の本殿外主要建物が殆ど全焼したため、県社への昇格は沙汰やみとなったが、以降拝殿、幣殿は戦前に復興し、本殿、住吉神社は戦後再興されほぼ旧に復している。
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岡山県神社庁HPより