前回、「スンユとセリョンの話」  をちょこっと書きましたが、あれは野史の記録に残っていた一行の内容から、創作されたのが、スンユとセリョン-それに史実に基づいた方を載せた・・・「王女の男」


韓国時代劇・中

 

 首陽大君が金定瑞を討って王位を甥の端宗から奪い首陽大君は7代王世祖となる。という流れは、史実に基づいていますよね。ですが主人公の二人は、噂話のような?野史の一行から・・・野史って?

 

 朝鮮王朝時代の記録に「朝鮮王朝実録」というのがありますよね。その他にも歴史というか日記 (「燕山君日記」「光海君日記」等) や自伝 (「閑中録」惠慶宮洪氏ヘギョングン・ホン氏等)などがありますね。その他「野史」は、民間で伝承された話を集めた歴史書。(それも様々あるようですが。)

 スンユとセリョンの基となった野史は、元官僚の徐有英ソ・ユヨンが書いた「錦渓筆談」-この本の中に、首陽大君の娘と金宗瑞の孫が結婚して暮らしていた-(他誌では想いを寄せ合っていた)という話がありました目ビックリマーク

 

 その詳細ですが 

世祖の娘が父親を厳しく批判していた。心配した母親は娘を旅に出した。旅の途中で立派な若者と出会い、やがて結婚。その時になって始めて、娘は夫が金定瑞の孫だということを知った。娘も夫に、父が首陽大君であることを知らせた。それでも二人の気持ちは変わることなく、息子を授かった。年月が過ぎ、世祖が過去を悔いて仏寺をまわっているとき、自分にそっくりな男の子を見た。不思議に思って母親を訪ねると、なんと自分の娘だった。再会に涙した世祖は娘の夫が金宗瑞と知っても心から許した。そればかりか娘一家を都に迎える準備をした。しかし、迎えの一行が訪れると一家はすでに立ち去っていた。それ以降 一家の行方はわからなかった。

 

 この話がヒントになって「王女の男」は創られた。噂の記録?と疑いたくなるのですが、「錦渓筆談」には事実として伝わってきた話-として書かれているそうで・・・

 

 「朝鮮王朝実録」の1446年6月6日の記述には、世祖には2人の娘がいたことになっている。しかし、後の王家の記録を見ると世祖の娘は1人しかいない。記録の上では1人の娘が消えているのである。それがセリョンなのか?大きなミステリーだ。』 2013年版韓国時代劇スペシャル~

 

とあります。楽しいですね・・・創造(想像も)が。

史実の方々にはとても苦しく、涙なくしてはおられないのですが、このフィクションやっぱりすごいです。 なぜ、ここまで引き込まれるのか?引き込ませる力が不思議でたまらない。

 


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