「大王世宗」時々、理解できないところがあり
再度見たり調べたりして観ていますが・・・
ファン・ヒ〔知申事〕(キム・ガプス)の回想
=「杜門洞事件トゥムンドン」が、わずか数分の回想シーン
(※解説もあっという間で、もっと深く知りたくて・・・)
回想・・・
<杜門洞の火事>
「杜門洞トウムンドン事件」=
朝鮮建国に反対するする高麗道官72人が住んでいたところ杜門洞。
ファン・ヒは成均館を辞めて、杜門洞にいた。<これはドラマ中での字幕解説>
そのファン・ヒの数分の回想シーン・・・
李成桂イソンゲが高麗王を追放して、新たな朝鮮王朝を開いたとき
優秀な政治家や官僚の多くが高麗王朝に義理立てして
李成桂の配下に入らなかった。
李成桂は、彼らの才能を惜しみ、出仕するよう何度も要請したが、
120人ほどの高麗王朝の忠臣は杜門洞という村にこもり、完全に無視した。
「たとえ飢死しようと高麗に対する忠誠心を捨てません」と。
業を煮やした李成桂は、「出口を用意して村に火を放てー」と命令を出した。
<それが、あの回想シーンでした。>
いくら忠臣でも火事になれば、出てくるだろうと思っていた李成桂でしたが、
120人の優秀な人達は、火の海にも屈せず焼け死んでしまったのです。
ただ全員が焼け死んだわけではなかった。
李成桂の説得に応じて わずかの人が、杜門洞を出た者もいたという。
その中のひとりが、あのファン・ヒ(キム・ガプス)。
ファン・ヒは高麗王朝の官僚でしたが、
時代の変化を率直に認め、恩讐を捨てて李成桂に仕える決心をした。
苦渋の決断だった。
しかし裏切り者としてファン・ヒを責める人もいたという。
3代王の太宗は毎日彼を呼び出すほど、彼を信頼していた。
また4代王世宗の代でも重責を歴任し、評価が高かった。
精錬潔白な官吏としてもその名を轟かせた。
それほど出世しながら、普段から贅沢を嫌い質素に暮しており、
民衆や同僚、王たちからも尊敬を集めたという。
また性格も温厚で誰にでも寛大で、
そんな性格が長生きの秘訣だったのか86歳まで宰相を務めた。
その清さと功績から「清白吏」チョンペクリ と呼ばれた。
黄喜(ファン・ヒ)の功績は多岐にわたり・・・
農事の改良、礼法の改定、国防強化、文物制度の整備と振興、「経済六典」
※1 という書物も刊行。このような功績もあり世宗がもっとも
信頼していた宰相だったといわれている。
正義を愛し、民に尽くして1452年89歳で亡くなった黄喜。
その2年前に世宗が崩御していたが、ファン・ヒも宗廟 チョンミョ ※2 に祀られた。
そのことでもわかるよに彼の功績は、誰もが認めており朝鮮王朝初期に
活躍したこの宰相なくしてこの後の繁栄はなかったとのいわれている。
※~朝鮮王朝偉人辞典より~
ということでした。まだ「大王世宗」途中ではありますが、
理解できない箇所では歴史書を見ながら視聴。
これからは、しばらくお休みして、溜めて後で集中して
(時々ストップして歴史本) 再視聴したいと思います。
※1 朝鮮王朝の法を修正、補完した書物
※2 王室の霊廟