若かりし頃の父。一番下の弟に似すぎ。
さよなら親父殿
2017年1月28日 5:05pm
私の父 梅田 清明(まさあき)が向こう側へ逝きました。
なんでもノロウィルスが引き金になり、脱水症状を起こして体に負担がかかって
心筋梗塞を引き起こしてあっさり逝ってしまったとのことでした。
関係者のみなさまには本当にお世話になりました。
心の底より御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。
これも虫の知らせなのかなと今なら思えるけど、先月一時帰国して一緒に呑めて本当によかったです。
ただでさえ会うのが約3年ぶりやったし、普段なら実家に帰っても友達に会いに行きまくってほとんど実家は寝るだけみたいな感じやったけど、今回はなぜかそんな感じにならんくて結構家にいようと思ったし、ばあちゃんの墓参りだったりおじさんや従兄弟に会いに行ったりと家族との触れ合いが多かったのが自分でも不思議でした。
父は以前「俺はいつか自分の子供たちと一緒に酒が飲めるのが夢だったんぞ」と言ってました。
前回の一時帰国でささやかですが、父の夢を叶えられてよかったです。
なんだかんだ酒は弱いからすぐ寝たけど、嬉しそうにしてたのを見て自分も嬉しくなりました。
亡くなった時間はNYの夜中3時過ぎで普段なら間違いなく寝てるはずなのにその時は電車がいつも以上に来なかったり、必ず停車するはずの最寄り駅をすっ飛ばしたりとアレ?なんかいなこれ?みたいなことがありつつ帰るのが遅くなったりして普段よりとても遅くなってしまったんです。
そしてやっと寝る準備できてそろそろ寝ようかいなーという時に不意に弟から連絡がありました。
連絡をくれたのは1番下の弟で福岡に住んでるのにたまたま熊本に帰ってたみたいでさっきまで話してたとかいうから、どんだけ突然なん?という状態で話聞いてもぜんっぜんピンとこなくて最初はビックリしたというよりは先月一緒に呑んだ時はピンピンしてたのもあってまさか自分の親父じゃないやろ?と思って誰か親戚のお父さんとかが亡くなったんかいなーという感じで実感が全然ありませんでした。
あまりにも突然で警察の検視が入るとかテレビで聞いたことあるようなこと言われてやっぱりピンとこないし、寝る前で頭の動きもにぶくて何も考えられないからひとまず今後どうなるかわかったら教えてもらうことになって電話終了。
でも寝ようと思っても全然寝れんし、何か考えようにも何を考えたらいいのかもわからんし、、
そんなんで気づいたら朝になってて。
それでもやっぱふわふわしてるというか、いまいち現実感がなくて熊本にすぐ帰るにしてもまたこっちに戻ってくることも考えとかんといかんし、学校から書類出してもらわないと帰ることができてもアメリカに戻ってこれなくなるってのもあるし、トランプ問題で日本人も100%大丈夫と言い切れるかどうか不安なのもあって海外に住んでる時点である程度は覚悟してたけど、やっぱここまで突然だとどうしていいかわからなくて。
葬式には間に合いそうになかったけど、しっかりした弟が2人もいるから最初はもう一周忌に帰ろうとか思ったりして。
そんな矢先に弟から連絡で相続関係の手続きが必要やけん、至急帰ってこいとの連絡。
そらそうやな、というかそんなことにも気付かないくらい実感がなかったんやなーと思ってダッシュで必要書類取り寄せて帰国した感じです。
うちの父は自分が小学校の頃からほんとここ数年前までずーっと地元である菊陽町の町会議員としてやってきました。
最初は印刷会社とかけもちやったけど、議員の仕事が多くなってきたからとあと数年で定年やったのに会社を辞めて議員一本にして人の為に動きまくってました。
(でもこのタイミングで会社を辞めてなければ退職金が出なかったみたいなんでタイミング的にはバッチリやったみたいです。)
すぐ思い出せたのは
小学校のソフトボールの練習にスポーツドリンクとか麦茶じゃなくてリポビタンDを買ってくるような人だったということ。
高菜にしょうゆとマヨネーズを絶対混ぜて食べてたこと。
酒は大好きだけど弱いこと。
家では水戸黄門か鬼平か暴れん坊将軍かと時代劇を見てたこと。
そして水戸黄門で感動して泣いてたこと。
電話の声が異様にでかくてうるさいこと。
口ぐせが「要するに」と「ざっくばらんに」だったこと。
要するにとか言っても要してなかったり、ざっくばらんにと言ってもざっくばらんされてなかったのはおもろかった。
あとは結構行きまくってた銭湯が父の働きかけで出来たということを選挙の手伝いしたときに街頭演説で聞いて知ったときはむちゃくちゃビックリしました。
議員時代に市民相談を受けながら議会に通して図書館や駐輪場やらいろいろ手掛けていたようで町の為、人の為に常に動きまくってて人を喜ばせることが自分の喜びだったみたいでボーナスとか出たらチェーンソー買ってこれで墓掃除ができると楽しそうにしてたのは忘れられません。
人が喜ぶのが嬉しいと思うところは多少自分も受け継いでる感じはあります。
昔はどこの家庭でもあるような反抗期もあったりして、このクソオヤジが!とか思ったこともあったけど、いまはもうただただリスペクトです。
葬式には500人近い人々に来ていただき父がどれだけ愛されていたか、慕われていたかわかりました。
亡くなってからもう1週間以上経ちますが、未だ実感はなくどこかに出張にでも行っとるんやないかなと思ったりしてます。
まあ生まれた時からカウントダウンは始まっていて遅かれ早かれ全ての人に起こりうることなので予定より10年以上早かったけど、しっかりと受け止めて前に進んでいきます。
2人の弟には本当に感謝です。
いてくれて母を支えてくれてありがとう。
毎日のように事故や病気で人が亡くなるニュースがありますが、
実際自分の身内に起きたりしない限りはやっぱりどこか他人事な感じがあったけど、
自分の父親の死というのはやっぱりとてつもなく大きい出来事であってこれからの
生き方についてとてもとても考えさせられました。
昨年末に一緒に飲めていたのもあるから今こんな感じでいれるんやと思うけど、
あのタイミングで一時帰国してたのは偶然ではなく、虫の知らせやシックスセンスの
為せる技だったのかという感じです。
相続関係の手続きでもうしばらく日本にいるのでタイミング合えば一緒に飲みましょう。
全ての人に愛を込めて、ありがとう。
梅田 寛寿


