『木が蝉に向かって飛んで行って、とまることができるか。
蝉が木に向かって飛んでいってとまるように、私たちが神様と聖霊様と御子のところに行って、くっついてこそ、その懐で生きるようになる』
私たちと全能者の関係はこのようだ。
と先生は蝉と木にたとえておっしゃいました。
私たちが自ら選択していくということです。
聖三位は、人々がくるのを待っているということです。
いくら聖三位が行きたくても、限界があるということです。
私たちには自由意思があります。
つまり、どれだけ聖三位が愛していても、最終決定は人間側にある。ということです。
これは、ロボットのようにただ全能者を信じるように創ったのではなく、たくさんの選択肢があるなかで、自ら選択して、全能者を信じて、愛してほしかったからだと先生はおっしゃいました。
愛する女性が、初めからある男性を愛するようにプログラムされていて愛することと、多くの男性がいる中でもその男性一人を選んで愛してくれることとでは、その愛の大きさが違います。
これと同じく、神様、聖霊様、御子も、さまざまなものが存在する中で、全能者を選んで来てくれるということを願って、その大きな愛を受けたくて、私たちに自由意志を与えたとのことです。