「自閉症の親として」の翻訳本がようやく完成しました。
 以下その本の「あとがき」からの抜粋です。 

 私は、2006年8月から2007年9月までの約1年1ヶ月間、ノースカロライナ州アッシュビル市にあるアッシュビルTEACCHセンターで自閉症者支援に関する研修を受けました。
 このアッシュビルTEACCHセンターには、ディレクターと呼ばれるセンター長はじめ6人のセラピストが乳幼児の診断から成人期の就労支援までさまざまなサポートを行っていました。その中の一人にクリス・リーガンという女性のセラピストがいました。彼女は美しく、聡明でかつとても優しい女性でした。クリスには4人の息子がおり、当時22歳の一番下の息子ティムが消防士で、もうすぐ結婚するという時期でした。そのすぐ上に大学院で哲学を勉強しているアンディがいました。アンディは日本の禅にも詳しく、私に日本の文化をよく訪ねていました。アンディの上に考古学を勉強しながら森林レインジャーになったジェームスがいました。そして長兄として当時27歳になるバッキーがいたのですが、そのバッキーは知的障害を伴う自閉症でした。
 バッキーは家から離れてグループホームに居住しながら働いており、絵を描くのとマラソンが大好きなとても素敵な青年でした。

 クリスの夫マイクは父親が朝鮮戦争に従軍していたため、小さいときに日本の別府に住んでいたためか、とても日本が好きなのだそうです。マイクに誘われて「硫黄島からの手紙」を一緒に見に行ったとき、アメリカで日本映画を見ながら、思わず英文の字幕を見ていることが不思議でした。そのマイクとクリスは学生時代にボランティアで英語を教えに行ったアフリカで知り合い、アメリカに帰国後に結婚しました。
 そして最初に生まれたバッキーが自閉症だったのです。

 私がTEACCHセンターで研修を受けて二か月ほど経過したころでしょうか。そのクリスが私のところへやって来て、「この本はとてもいい本よ、ぜひ読んでみるといいわよ。」と手渡されたのが、「自閉症の親として」でした。(その時は、この「自閉症の親として」が後に2006年の“ベストブック・オブ・ザ・イヤー”に選ばれるとはまったく想像していませんでしたが。)
 バッキーが生まれたころは、アメリカでも自閉症の原因は母親にその責任があるように言われている時期でした。クリスは藁をもすがる気持ちでいろいろな専門機関を訪れるも、どこも十分な対応はしてくれませんでした。そんな中、ノースカロライナ大学医学部精神科TEACCH部を知り、リー・マーカス教授が母親の会を立ち上げていると聞き、飛び込んだのです。マーカス教授はとても優しく、保護者の気持ちを心から受け止めてくれたそうです。その母親の会でクリスは親しい友人ができました。その友人たちとは20年以上経た今でも親しい付き合いをしています。その友人の名がこの本の著者であるアン・パーマーとモリーン・モーレルでした。
 研修の合間を縫って、クリスから紹介されたこの本を読み進めるにつれ、いつの間にか保護者であるアンとモリーンの気持ちに共感し、ぜひこの本を日本の自閉症の親御さんおよび関係者に紹介したいと思うようになりました。
 そんな折、拙著「青年期自閉症のサポート」でお世話になった岩崎学術出版の編集者の方とCARSのニューバージョンであるCARS-HF(高機能自閉症・アスペルガー症候群の自閉症評定尺度)についてのやり取りをメールで行っていたため、この本を訳したい旨をお伝えしました。翻訳本はどこの出版社でもあまりやりたくないと聞いていたのですが、その編集者のご尽力により翻訳権を取っていただきました。それから日本とアメリカとのメールのやり取りをしながら一章ずつ訳したものを検討していただき、訳がわかりづらかったところはクリスを通してアンとモリーンに何度か会わせていただき、確認させていただきました。
 その間、バッキーのマラソン大会に一緒に出たり、バッキーの描いた絵の展覧会に行ったり、また何度もクリス邸の夕食に呼んでいただき、アンやモリーン、モリーンの夫のロブと話をする機会を設けてもらいました。
 とりわけ、4男ティムの結婚式に私も呼んでもらうことになり、アンの娘のセイラやモリーン夫妻らも参加した結婚式とその後のパーティーはとても思い出深いものになりました。というのは、パーティーには自閉症の兄バッキーも参加したのですが、新郎新婦だけではなく、クリス夫妻や新婦の祖父母などみんながダンスをし始めるのです。しかしながら、バッキーはダンスなどやったことがないので、ずっと立ちっぱなしでした。そんなバッキーを見ていた新婦の友だちたちが一人ひとりバッキーをリードしながらダンスを踊り始めるのです。そのシーンは、まるでレインマンの映画を見ているようでした。

 そうして足かけ2年がかりでようやく出版にこぎつけました。英語の専門家ではない私の拙い訳について、編集者の方も一緒に考えていただきました。そういった意味ではこの本は私の訳書というよりも岩崎学術出版の編集者の方との共訳と言っても過言ではありません。
 
 私が師と仰ぐ児童精神科医の佐々木正美先生はおっしゃいます。
 「障害というものは本人に帰するものではなく、その人と健常と呼ばれる人との間にある壁のことを意味するのです。」と。
 この本の中に精神的に疲弊しきったモリーンが、ある学校心理士と出会った後の気持ちを述べる箇所があります。その時のモリーンの気持ちは、まさに佐々木先生がおっしゃる「壁」を意味するものだと思いました。なぜなら、自閉症という障害を否定するのではなく、「自閉症は自閉症のままでいい」、周りが自閉症の人、そしてその保護者を理解してあげることにより、その壁は崩していけるのです。
 この本はそういった自閉症者およびその家族を取り巻く周りの理解、支援について訴える名著といっていいでしょう。

 この本によって、自閉症と関わる専門家だけではなく、多くの一般の人たちに対しても自閉症の理解が進み、また自閉症と診断されたお子さんを持つ多くの保護者が勇気づけられることになれば、訳者として何よりの幸せです。
 最後になりましたが、自閉症およびその家族への理解と支援が益々広がっていくことを願っています。