メルハバ~♪(こんにちは)
先日の3/19(月)~24(土)に4泊6日の長期海外出張に行ってきました。
行ったのは初めて訪れる国「トルコ」なのですが、
煌めく夜景にワクワクした大都会の「イスタンブール」は通り過ぎ、
新潟から「25時間半」の移動時間かけて深夜2時にたどり着いたのは、
真っ暗で何も見えない「ベルガマ」という田舎町です。
煌めく夜景にワクワクした大都会の「イスタンブール」は通り過ぎ、
新潟から「25時間半」の移動時間かけて深夜2時にたどり着いたのは、
真っ暗で何も見えない「ベルガマ」という田舎町です。
次の日はいきなり日の出前に業務が待っていたので、どんな町かもわからずホテルを出発したら、
なんと、町中に大きな放送が流れ始めました!
なんと、町中に大きな放送が流れ始めました!
闇の中でいきなり何事が起こったのか?と思って超ビビリましたよ。

これはアラビア語なのでしょうか?
どうやらこれはイスラム教徒が行なう「礼拝」の時間をお知らせするもので、
「コーラン」というお教みたいなものが流れているんだそうです。
「コーラン」というお教みたいなものが流れているんだそうです。
そう、トルコの国民の99%はイスラム教徒なんだそうです。
「イスラム」が「神に帰依した人々」と言う意味なので「教徒」をつけると変になるので、
正確にはイスラム教徒のことを「ムスリム」と呼びます。
正確にはイスラム教徒のことを「ムスリム」と呼びます。
「礼拝」は、まず朝5時頃に始まり、正午過ぎ、午後3時頃、日没頃、日没から約2時間後と
毎日この放送と共に「メッカ」に向かって5回行なわれるんだそうですよ。
毎日この放送と共に「メッカ」に向かって5回行なわれるんだそうですよ。
それを知らなかったもんだから、この大音量の放送は何が起こったのかわからず、
かなりドキドキしちゃいましたよ。
かなりドキドキしちゃいましたよ。
なんだか野犬みたいなのもワンワン吠えてるしね。
で、これがホテルから近い場所で見たトルコはベルガマの朝日です。

日の出はだいたい6時20分頃。
今頃、日本は13時20分なんだなぁ・・・と思いに耽っていました。
そして、まっ暗闇だった町に日差しが差し込むと、なんとそこには!?
広大な遺跡が浮かび上がってきたのです!
そう、ここベルガマは今では田舎町なのですが、紀元前300年ごろから約500年の間、
「ペルガモン王国」として繁栄した大都市だったのです!
「ペルガモン王国」として繁栄した大都市だったのです!
って、それは知っていたんですけどね。
ボクはまったく学生時代世界史を勉強してこなかったので、正しいという保障はできませんが、
アレキサンダー大王の死後、その広大な領土はいくつかに分割され、
大王の遺産を引き継いで築かれた1つの王国がその「ペルガモン王国」だったそうですよ。
アレキサンダー大王の死後、その広大な領土はいくつかに分割され、
大王の遺産を引き継いで築かれた1つの王国がその「ペルガモン王国」だったそうですよ。
「ベルガマ」はこの「ベルガマ遺跡」、または「ペルガモン遺跡」と呼ばれる遺跡が有名な町なのです。

そしてボクがトルコの滞在中、毎日見ていた遺跡がこのヘビの彫刻がシンボルの遺跡。
ヘビがシンボルっていうだけでピンと来た方もいらっしゃると思いますが、
ヘビは脱皮することから再生の象徴であり、杖にヘビが巻きついたマークは
日本で見る救急車にも、WHO(世界保健機構)や米国やヨーロッパなどの薬局や病院でも見る事が出来ます。
ヘビは脱皮することから再生の象徴であり、杖にヘビが巻きついたマークは
日本で見る救急車にも、WHO(世界保健機構)や米国やヨーロッパなどの薬局や病院でも見る事が出来ます。

そう、ここは今の言葉でいいますと『総合医療センター』なのです。
古代ギリシャの医術の神「アスクレピオス」の聖域とされ、ここは「アスクレピオン」と呼ばれる地でした。
これが復元予想図です。

当時世界にはアテネやボス島など5つの「アスクレピオン」が存在したそうで、
そこには当時の近代医学が各地から集結し、様々な施設が築かれていった跡があります。
そこには当時の近代医学が各地から集結し、様々な施設が築かれていった跡があります。
紀元前から医療に関してここまで充実した施設・・・
いや、「医療都市」を作っちゃうなんてスゴいですよねぇ。
いや、「医療都市」を作っちゃうなんてスゴいですよねぇ。
まあ、ただ当時の医療は現代の西洋医学の治療とはちょっと考え方が違うみたいですが・・・

あのヘビのレリーフはこの「アスクレピオン」の入り口なのですが、
まずは、そこに行くまでにこの「聖なる道」を歩きます。
まずは、そこに行くまでにこの「聖なる道」を歩きます。
今では数100mしかないこの道ですが、当時は1kmぐらいはあったと言われ、
『神の御名において、死はここから先に入るべからず』と記してあったそうですよ。
『神の御名において、死はここから先に入るべからず』と記してあったそうですよ。

要するに『この長い道を自力で歩ける者だけが入れ』ということで、
治る見込みのない重症の患者と妊婦は門前払いだったという訳です。
治る見込みのない重症の患者と妊婦は門前払いだったという訳です。
ちなみに生贄や金品を持ってこなかった患者もNGですが、現在は15TLの入場料で入れますよ。

中に入れた患者は生贄などを捧げて参拝し、この「聖なる泉」で身を清めてからめて宿泊したそうです。
病を治す力があると考えられていたこの水は今でもこんこんと湧き出ていますよ。
ボクも左肘に塗ってみれば良かったかなぁ?
そして、患者は「診療所」につながるこの「地下道」を歩かされるのですが、
その時には「阿片」を吸わされています。
その時には「阿片」を吸わされています。

この薄暗い「地下道」の天井にあいた穴は外光をとるものではなく、
ここを通った患者の耳には穴から神様のお告げの声が聞こえてくるそうなのです。
ここを通った患者の耳には穴から神様のお告げの声が聞こえてくるそうなのです。
でも、実はこれは夜に見た夢から治療を判断し、神官が『あなたは必ず治る~』などと
この穴の外から患者に声をかけていたそうなんですよ。
この穴の外から患者に声をかけていたそうなんですよ。
「阿片」を吸っている患者は、それを神様の励ましの言葉だと思って聞いて元気になるそうです。
なんとも詐欺っぽい感じもありますが、『病は気から』とも言いますので、
これは治療と信仰が一緒になった当時の立派な「心理療法」なのかもしれませんね。
これは治療と信仰が一緒になった当時の立派な「心理療法」なのかもしれませんね。

「俗の場」と「神聖な場」の境を意味する「地下道」を抜けると、立派な「診療所」へ。
「テレスポロス神殿」と呼ばれる「診療所」の内部は大理石で覆われ、水道管も張り巡らされていて、
ここでは水浴や泥浴、マッサージ、薬草を使った肉体的治療も行なわれていたそうですが、
ここでは水浴や泥浴、マッサージ、薬草を使った肉体的治療も行なわれていたそうですが、
主には精神的治療が中心だったみたいで、「地下道」と同じく「阿片」を吸った患者たちは
このトンネル状の回廊を歩き、また天井の穴から神官がささやくのだそうです。
このトンネル状の回廊を歩き、また天井の穴から神官がささやくのだそうです。
やっぱり当時は病自体を治すというよりも、
病に負けない気持ちを暗示によってつくるってことだったんですね。
病に負けない気持ちを暗示によってつくるってことだったんですね。

心のケアが主な治療ということであれば、娯楽施設も当然ありました。
それはこの約3500人収容できたという「劇場」です。
ここでは、音楽や芝居などを見て楽しむのも治療の一環と考えられていて、喜劇と悲話が演じられたそうです。
喜劇は患者を笑わせるためっていうのはわかるのですが、
悲話は自分よりかわいそうな他人の不幸話を聞いて慰めるために行なわれたんだそうですよ。
悲話は自分よりかわいそうな他人の不幸話を聞いて慰めるために行なわれたんだそうですよ。

これは朝日に照らされる「バッカスの神殿」。
ちなみにこういった「劇場」の近くにはローマ神話のワインや演劇の神である「バッカス」祀った
神殿がかならずセットであるらしいです。
神殿がかならずセットであるらしいです。
この神殿は「劇場」が出来るよりもずっと昔からあったそうなのですが、
ここ「アスクレピオン」を訪れた当時のローマ皇帝が、
心を癒しれもらったお礼として、この「劇場」を寄贈したそうですよ。
ここ「アスクレピオン」を訪れた当時のローマ皇帝が、
心を癒しれもらったお礼として、この「劇場」を寄贈したそうですよ。
そこまでプレゼントするなんて、スゴい癒されようだったのですねぇ。

また、これだけの施設があれば集まってくるのは患者だけでなく、
医者や医学知識も集まり、次の代へと引き継がれていった事でしょう。
医者や医学知識も集まり、次の代へと引き継がれていった事でしょう。
そのため、「医学書」などを保管していた「図書館」の跡も見られます。
その壁は書物を湿気などから守るために二重構造になっているそうですよ。
ちなみに当時の書物はエジプトから輸入していた「パピルス紙」を使っていたのですが、
その後エジプトは「パピルス紙」の輸出を禁止してしまったんです。
その後エジプトは「パピルス紙」の輸出を禁止してしまったんです。
それでペルガモン王国では代用品として世界で初めて「羊皮紙」を発明したのですが、
その事からドイツ語ではこの「羊皮紙」を「ベルガメント」と呼ぶようになったそうですよ。
その事からドイツ語ではこの「羊皮紙」を「ベルガメント」と呼ぶようになったそうですよ。

トルコは暦の上のこの日、3/20から冬を終え春になったとされるんだそうです。
「春分の日」の日本と同じですね。
この日の朝は0度近くとっても寒かったのですが、日中は20℃を超えてとってもポカポカでした。
いつもは「風のやむことのない町」とも言われているそうですが、
運よく風そころか、雲一つない素晴らしすぎるお天気でしたよ。
運よく風そころか、雲一つない素晴らしすぎるお天気でしたよ。
地面を真っ白にするものは野菊で、そこの羊と羊飼いのオジさん・・・とってものどかです。
ボクもこの長旅で疲れた心が「アスクレピオン」で癒されました♪

ここには、羊や牧羊犬だけでなく、大きなかたつむりやトカゲ、カエル、小鳥など、
たくさん過ごしていましたよ。
たくさん過ごしていましたよ。
もしかして、この聖地「アスクレピオン」の「心理療法」で癒されているのは
ボクら人間だけじゃないのかもしれませんね。
ボクら人間だけじゃないのかもしれませんね。

さて、ここ「アスクレピオン」はホテルから近かったので毎日見ていたのですが、
逆にボクらが見下ろされている様に山の上にもう一つ遺跡が見えていました。
逆にボクらが見下ろされている様に山の上にもう一つ遺跡が見えていました。
「アスクレピオン」まで行く「聖なる道」はその東北方向の約2km先の
山の上の神殿を目指しているのだそうです。
山の上の神殿を目指しているのだそうです。
次回は仕事の合間に行ったもう一つの遺跡、その「アクロポリス」に行ってみたいと思います。

ちなみにこの癒しの地「アスクレピオン」の横には、それとは真反対のトルコ陸軍の基地があり、
厳つい戦車や銃を持った兵士をいっぱい見る事ができました。
厳つい戦車や銃を持った兵士をいっぱい見る事ができました。
あまりにも迫力があるので思わず写真を撮りたくなってしまいますが、
「写真撮影禁止」と書かれた看板が立っているし、
「写真撮影禁止」と書かれた看板が立っているし、
外国ではカメラを向けただけで逮捕されることや、
最悪射殺されることがあるとも聞くので、ここは注意しないと、
「アスクレピオン」でも治療できなくなってしまいますよ。
最悪射殺されることがあるとも聞くので、ここは注意しないと、
「アスクレピオン」でも治療できなくなってしまいますよ。
「ギュレギュレ」(バイバイ)・・・つづく。