マスコミでは見えない被災地 | 馬の会長日記

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「馬の会」の会長“のみ”の気まぐれ日記。
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今住んでいる埼玉のこと、趣味の旅行に、
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その時思ったことを気ままに更新してま~す。

「東北地方太平洋沖地震」の最初の恐怖から今日で1週間になりますね。

仙台に支社や工場のある多くの新潟の企業が独自で自分の会社に救援物資を運んでいます。
ウチの会社も仙台支社があるのでもう何便も送り届けました。

最初は現在も緊迫状態の原発の不安や、幾度もの余震がつづいている中、
路面も凍る峠道を越えていく事に搬送組の安全面も不安を感じましたし、

「新潟中越地震」や「中越沖地震」の時には一般の人がボランティアや救援物資運搬で大渋滞し、
本来の救援隊が現地に到着するのが遅れたりして混乱があったので
やめた方がいいとも思っていました。

個人的な「何かをやらなきゃ」という気持ちが、逆に迷惑をかけることになっては意味ありませんもんね。

そんなこともあり、マスコミでは自発的な救援物資の搬送は控えるようにと呼び掛けていますし、
ボクもそれが正しいと思っていました。

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                         【2011年3月12日(土)新潟日報】



しかし、仙台の都市部に行った仲間の話によるとその呼びかけが絶対ではないことがわかりました!

さすがにテレビで見る沿岸地域に素人が足を踏み入れることは混乱を招くことになるので、
マスコミの言うとおり現地入りは控えたほうがいいのですが、

今回の地震がこれまでと決定的に違うのは、範囲が広く物資や人手が拡散してしまい、
比較的被害の少ないところはプロの手もまわっていないのが現状みたいです。

オフィスも多くある仙台の中心街では、電気、水道のあるていどのライフラインが復旧してきたものの、
食べものや日用品、ガソリンを手に入れることが出来ず物流が滞っている状況だそうです。


もちろん、住まいや家族を亡くし、この今を生きることもままならない人たちが優先だとは思います。

だからこそ1つでも多くの物資が一刻も早く必要なのに、実際政府の対応には歯がゆさがありますよ。

その大きな被災地の周辺のマスコミでは見えない被災者の方々のケアが
されていない事も考えなければなりません。

「控えろ!」「慌てるな!」「もう少し待て!」で混乱を抑えているのも一面ですが、
その逆でまた人の命が消えかかっているのも事実です。

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                         【2011年3月13日(日)新潟日報】




「救援物資の配送の控え」を訴えているマスコミは被害の大小にかかわらず、
実際に被災地全部に行かれてそれを言っているのでしょうか?

これまでの極地的な神戸や新潟の地震の経験則だけで語っているような気がします。

今回は被災地ということで全体を一色単にせずに、場所場所による対応が必要ではないでしょうか?

マスコミの呼びかけも絶対ではなく、それが次なる風評被害という災害を呼んでますよね。

海外からも救援が来て、国からの手配も足りなければ、やっぱり誰かが動かなければいけないんですよ!

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                         【2011年3月14日(月)新潟日報】



東北道が通行止めになり、首都圏からは福島を通って仙台への救援物資の搬送は難しい状態です。

だけど、新潟からは113号を通り、13号で山形県天童市経由、
48号の作並街道のルートが比較的通常どおり通行できます。

これも内陸で起きた中越地震とは違い道路もしっかりしていますし、
他にルートもあるし、ガソリン制限の影響もあるために、ほとんど渋滞もしていません。

だいたい7~8時間ぐらいあれば到着できます。

ただ2つ注意しなければならないことがあります。

まずは当然ガソリン。

出来れば給油は行きに新潟県内で入れ、帰りは山形県では制限もありキビしいと思った方が良いでしょう。

多くの荷物を積み込むので苦しいとは思いますが、
なるべく往復できる燃費のいい車に乗らないと大変なことになりますね。


もう1つは天候です。

ここ数日は冷え込み、雪が降っています。

実際先ほど作並街道でスリップ事故があったため通行止めにもなりました。
こんな状況でなくても、路面凍結の可能性のある峠道は気をつけて運転しなければなりませんね。



このルートを使い、新潟にも仙台から避難してくるバスが多く到着しています。

ここから首都圏や西に行く電車も高速道路も開通しましたし、
新潟県もすでに避難された方2,600人以上を26カ所の相談所や避難所で受け入れているそうですね。

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新潟は2度の地震で、多くの方に助けられています。

この道が新潟と仙台とをつないでいると思うと、ボクらに与えられた使命のようにも感じます。




ただ、マスコミは「買い込みの自粛」も促していますね。

もちろん、個人の物欲を満たすためだけの買い込みは論外で、話に出すまでもありません。

でも、被災地に物資を運ぶために新潟のスーパーに買出しにまわった時にわかったのですが、
そのマスコミの呼び掛けにより、在庫を抱えているにもかかわらずスーパーが
「売り控え」をするようになってきたのです。

理由を話せば倉庫から出してきてくれるところもありますが、
企業での行動とは言え自社対象の個人行動のため、かたくなに売ってくれないところもあります。

それがいけないということではないのですが、中越地区での避難生活者もいるので
新潟での救援物資の手配も難しくなってきていることを感じます。

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                         【2011年3月15日(火)新潟日報】




そんな時、助かることに他の県の支社や、別のつながりのある会社から物資が届いたのです。
心強いことに「阪神・淡路大震災」を経験された西日本の方々からも託されました。


第1班の頃は水、米、カップラーメンの食品やガスコンロを持って行きましたが、
その他にも必要なものが見えてきました。

水道は回復していますがはまだ飲み水にはなれないそうで、
新潟でも在庫の無い重い水そのものを搬送するよりも、ポリタンクが必要とされました。


ガスはまだ復旧していませんが、電気は通ったのでごはんが炊けるようになりましたが、
米は多くあってもやっぱりオカズは欲しいので、海苔やつくだ煮、梅干し、調味料も用意。

また、カップラーメンも最初はよろこんでくれたけどもうそろそろ飽きてきたようで、
みそ汁やインスタントスープ、レトルト食品を欲しがっていました。

元気を取り戻してもらうために、チョコレートやおせんべいなど多少のお菓子も持っていきます。



それから食料品だけでなく、日用品も必要ですよね。

さすがにガソリンは運べませんが、紙コップや紙皿、生理用品、ウエットティッシュなどなど・・・

あとこれは赤ちゃんのいるボクが気付かなければいけなかったのかもしれませんが、
やっぱり、オムツやお尻ふきも大量に必要ですし、そして粉ミルクも・・・

普段ウチのように母乳で育てている人は大丈夫なのかと思っちゃっていましたが、
やっぱりこの災害時にお母さんも栄養が摂れていないので、
赤ちゃんに充分な母乳が与えられる訳ないですよね。

それに災害のショックで母乳が出なくなってしまうお母さんもいるみたいですし。

これは盲点でした。

それから、これこそ生の声と感じたのは「タバコ」の希望もあったことでした。




今は自分の会社に届けていて、その家族やお付き合いのある会社に巡るていどの量しか搬送できていませんが、
そこからさらに周りの人に配ってもらう予定です。

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             「こころ」はだれにも見えないけれど、「こころづかい」は見える

             「思い」は見えないけれど、「思いやり」はだれにでも見える


ACで覚えちゃうほど何度も言っていますよね。

ただ何も情報が無いのに無計画に動いてはいけません。

ボクの情報も、仙台のごく一部の被災者の方から収集して動いた一例ですから
これもすべてではないので注意してくださいね。

それから福島方面は原発の不安もあり、被災地にはなっていない地域でも
物資が入って来ないとも聞きますが、こちらは安全なルートや生の情報は入ってきていません。


何が必要とされ、何が余計なお世話になるか、マスコミの偏った声に流されず、
これまでの経験値で築いてきた固定観念に凝り固まらず、
皆さんがご自分の目や耳で今起こっている現状を見極めることが大切ですね。


ご自分の判断というのも、難しいことですが・・・


エラそうな事を言っていますが、ボクも何が正しくて、何が間違っているかはわかりません。
そのうえ左腕が動かないために物資調達や車の運転も出来ません。

何も出来ない自分が歯がゆいです。

だからせめて、実際仙台の都市部に行ってきた仲間と、
その被災者の生の声をここで皆さまに届けられたらと思いました。

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                         【2011年3月16日(水)新潟日報】


昨夜も数人の仲間が仙台に出発し、夕方には戻ってきました。

明け方に出発すれば仙台にはお昼頃到着し、日の当たる時に峠を往復できます。


そして明日も別の仲間が多くの人の思いを積んでまた出発しようと準備をしいています。

被災地の方々のご健康と早期復旧を祈るとともに、勇気ある仲間の無事をひたすら願って過ごしています。