友人が卒業論文のデータ集めに協力してほしいとのことで、GoogleフォームのURLを送り付けたので。回答した。その際に送った自論という名の怪文書をここで紹介したいと思う。

 

※ 以下、怪文書です。

 

問13,ご自身の偏見や先入観を含め、あなたはZ世代がどのような世代と捉えていますか?自由に記述してください。「特になし」でも大丈夫です。

※以下の文は完全に私の主観です。


 強いて言うなら保守的な(消極的ともいえる)人間が多いと考えている。失敗を恐れており、チャレンジ精神に乏しいのだ。これは統計的なデータに基づかない、私の主観を多分に含んだ意見なのだが、例えば、私の同級生は受験などにおいても志望校を決める際に確実に受かる大学を志望し、チャレンジを行わない同級生が多かったように感じた。(実際に私も確実に受かる大学を受験した。)
 講義においても「この問題、解ける人いる?」と先生が聞いても誰も手を挙げないことが多い。これは失敗を恐れていることの現れだと私は感じている。
 Z世代が得意な情報収集能力に関しても、情報ソースが不明な情報や偏った人間の意見に大きく影響される(複数の情報を参照しない、情報の深堀りをしないことも一助になっている)など、Z世代特有のネットへの敏感さが悪い意味で発揮されることが多い。

※以下の文は私の趣味の分野から述べるので、よく分からないと感じたら直接連絡をお願い致します。
 今まで否定的なことばかり述べてきたがZ世代の長所は「情報を収集し、失敗しない道を選ぶことが出来る」ことである。例えば、何かの商品をAmaz〇n等の大手通販サイトで買うときにも「レビューや高評価にサクラが混じっていないかチェックする」「実際に商品を買った人の意見が書いてあるサイトを見る」「ガジェットレビュアーの動画を見る」などして、出来るだけ失敗しないような商品選びを行うなど、自身のその性質を無意識ながらうまく活用する者たちもいる。
 だが、先程述べた「ガジェットレビュアー」の中には、明らかに問題がある商品(たいていの場合、安かろう悪かろうの商品)をあたかも「何の問題もない」かのようにレビューする”悪質な人間”も存在する。これはZ世代が行う商品購入前に行う情報収集の習慣(習性?)を悪用しているものだと私は考えている。
 Z世代はそれより1つ前の世代であるY世代(日本においてはゆとり世代という方が正しい気がするが、印象が悪いのでY世代とここでは呼称する)が持つ「周囲に同調する」性質を持たず、逆に「自分なりの個性を発揮しようとする」ことが多い。これは確かに長所でもあるのだが、その個性を模索する際に、「専門家でもないのだが発言力のあるアマチュア」所謂「インフルエンサー」の意見を自分にそのまま取り込んでしまうことがある。つまり、情報をかみ砕かずそのまま飲み込んでしまうのだ。先に述べた”悪質な人間”(=悪質な「ガジェットレビュアー」)はその性質を利用しているのである。

 現在の社会では、「個人的な強み(個性)」と「コミュニケーション能力(社交性)」が求められているが、そのどちらも最終的には「人生において積み上げてきたもの(経験)」が必要になる。しかし、Z世代はその保守性から積んできたものが「実経験」でなく、「ネットの情報」から判断する者が多い。
 しかし、忘れてはならないのはZ世代と呼ばれる人間たちは1910年~2010年に生まれた者たちで、その多くは社会経験に乏しい者たちだ。彼らが今後、社会においてどのような力を発揮していくのか、特に経験を積んだZ世代にどのような強みが生まれるのかは、Z世代である私自身にも理解できない。Z世代はインターネット、特にSNSに影響されやすい関係上、IT分野の発展や変革にも大きく影響される可能性がある。もし、現在経験に乏しいZ世代が経験を積んだ際に身に着けた情報精査能力と、かねてより持っていた情報収集能力を組み合わせることが出来れば、他の世代にはない非常に大きな強みとなる。

 しかし、上記の「経験」は挑戦するからこそ身につくものも多く、保守的なZ世代がそれら経験を積むことが出来るかは疑問が残る。我々Z世代の多くは全ての教育課程を修了している者も多く、もはや気質に関しては改善は困難であると私は考える。なので、今考えるべきはZ世代でなくその次の世代であるα世代である。

 α世代がどのような性質を持っているかは現状分かっていないが、少なくとも「情報の収集」においては我々Z世代大差ないものだと私は予想している。その予想を踏まえるならば、彼らに必要なのは我々が持たない「チャレンジ精神」ではないだろうか?α世代と呼ばれる者たちの中には初等教育を終えていない者も多い。多くの人間が最初に「チャレンジ」を行う「高校受験」までに、彼ら早がより”高く飛べる”ように、「チャレンジ」を恐れず努力を継続できる場を整えることが現在最も取り組むべき問題だ。
 しかし、もしα世代がZ世代に近い「保守性」を持つならば、先に述べた『「チャレンジ」を恐れず努力を継続できる場』を整えることは可能なのだろうか?私の友人や親せきの中には初等教育に関わる者たちがおり、彼らが共通して言っていた「最近の小学生の性質」は「長文が読めない」「型にはまった問題が解けない」である。すでに「継続能力」と「情報をかみ砕く(精査・考察する)能力」に関してα世代は我々Z世代世代と近い傾向を見せていると私個人は感じている。特に最近はChatGPTなど、情報の収集・精査においては人の力を必要としないものまで現れ始めている。これではZ世代が得意としていた情報精査能力がα世代失われてしまう可能性があるのだ。

 以上を踏まえて私が述べる結論は、教育において重要なことは「継続性」を育むことである。勉学や「情報の収集・精査」にも「継続性」は必要であるし、「チャレンジ」においてもその高いハードルを飛び越えるにはそれまで行っていた「継続的な努力」からくる自信が大きな一助になる。更に結果が残せれば、次の「チャレンジ」に踏み出す勇気もわいてくる。
 つまり、今の初等教育において必要なことは「チャレンジできる環境」、「失敗を許容し、次につなげる雰囲気がある環境」、「チャレンジ何度を行うことを推奨できるような環境」そして、「チャレンジを行うことで自分なりに得意な分野を選択できる環境」を構築することである。そうすれば、データと経験に基づいた強力な人材を育むことが可能になるはずだ。

※お前が自由に書いていいって言ったんだからな!2500文字かいてやったぜ!一言一句全部読めよ!
 分からないんだったら直接聞きにくるんだな!8月いっぱいと平日夜は空いてるからよ!