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江戸走り・江戸歩きは、動物真似歩行の「馬」の印象
ナンバ走り・ナンバ歩きは、動物真似歩行の「サル」の印象
そんなことはどうでもよくて・・
人生のパートナーや大切な人が近くにいることが何より改めて思う。
「愛の誓い」と同等の誓いは・・
「最後には、お互い喪に服せるほどの思い出を作ること」だと思うし・・。
愛の定義よりも、死の定義のほうが現実的でより深みが出る。
どっちでも愛は語ってると思うが・・。
私には「どうにもならないほどの近くて遠くなった孤独・孤立」だから、
立て直しは難しいものなぁ。
他人嫌いが出やすいし、関われたとしても「飽き」が先に来る。
人よりも、物のほうが大事に感じてるからね。
とは言えね・・
今の正直な心持ちで、今よりも20歳若くて職業の進路を決めかねて、
迷ってる状態で健康体なら「保育士」を目指してるだろうと思う。
過去の自分が作り上げてきたものが「今である」なら・・
「小学生時代には年下相手によく遊んだこと」・・、
「中学生時代のいじめを受けていたこと」、「高校生時代の自然に触れたこと」、
「30歳前後で好きな漫画、アニメや音楽に出会えたこと」、
「インターネットを通して人のことがある程度の欲を知ったこと」、
「製造業の作り手から見た他者の欲の動き」など・・いろいろある。
その・・いろいろな経験を経てるからそう思えてくるが・・。
健康体でもなければ、人が好きな精神状態でもないから「保育士」は無理だろう。
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ただ言えるのは・・「保育士」を目指したいと思えるぐらい・・
今の世の中は「情操教育」が行き届いてる感じがしないということ。
「道徳」も大事だが・・。
SNSや動画などを見てる限り、コメントも配信者も「子ども」よね。
イマジナリーフレンドの人格を利用し、盾とした「子ども」の雰囲気が強い。
他人の模倣(カオナシ)を演じ続けて自分の人生を路頭に迷わせて、
楽を選択して、迷いをなくしてるかのように振る舞うことしかしていない。
そう見えるのよね・・。
◆
しかし・・私の人生は・・
ネットがない時代のままで、中学生時代に引っ越しをしないで、
好きな漫画・アニメ、音楽に出会えていなければ「保育士」どころか、
「何もできない浮浪人」だった可能性もあり得る。
将来のことを考えないピーターな感じの人間だった。
◆
反抗期の不在は、自己の確立が遅いタイプの可能性があり、
自立をしにくいタイプにもなりえる。
現代社会で反抗期が起きにくかった人は、本性は別にあると思う。
反抗期は、迷いと本音を吐露する期間だと思うし・・。
それがないのは、仮面のかぶった本性でも本性ではあるが、
本音を引き出しにくい状態にあると思う。
仮面は音がこもるからね・・咥えて支えるタイプの仮面だと言えないよね。
反抗期の吐露期間にスマホを持っていたり、SNSで自慢をしてスッキリして、
その子って、自己の確立や内省的な自立できてるのかな・・って思ってくるよ。
一概にこうとも言い切れないけどね。