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個性と所作

 

この2つは陰と陽の関係だなと思い始めた。

 

所作

平成の中期ぐらいまでは宗教信仰が落ちなかったと思われるが、

宗教信仰や家庭の習わしなどを考えたときに

所作や常識を中心に磨いていくことで「個性」が本来の強くなる。

所作や常識は、社会的な認識のコピーではあるが、

社会的共通のものであって「個人」を侵害してるわけではない。

所作を明確にすることで、動じない心の在りつつ、

発揮するタイミングが合えば、誰かではない自分になれる。

その道一筋の武道や伝統を守ってきた人の厳格の一面も見せれる。

宗教信仰も「過去の生きてきた人物」ではないので、

他人のコピーでもない。

 

(最近の)個性

最近は動画配信や推し活などで、誰かを好きになりやすい環境で、

その人からもらったアドバイスや所作を真似するようになり、

個性を優先する時代になってきて、所作は後回しにしてきてる分、

社会的な認識の所作ではなく、誰かのコピーの所作でしかなく、

「個性はその人間そのものだが、所作は誰かだよね?」ってなる。

所作の色や口調が強めの人をコピーしてるなら分かりやすいが、

社会的な認識の所作ではないから、違和感もある上に、

その人が好きな人でも、その好きな人を誰でも好きなわけがない。

所作のコピーを観て連動して、そのコピー信者と本元を両方嫌うようになる。

 

こう言うこともあるから、日本の偶像崇拝が末永く続いたと私は考える。

他人のコピーの所作が、個性を優先させる結果になり、

社会的認識の所作が、個性を後回しにしながらも個性を強くさせる結果になる。

 

他人の所作のコピーだと、その人が強靭な心を持っていてもたかが知れるし、

コピーしたとしても好きだからと言ってる人の心は、それよりも弱い場合もある。

 

もっとも良いのは自然崇拝だとは思う。

自然崇拝は、流れがあり、抗わず、逆らわず、心の均衡を保つ意識ができる。

 

「誰か崇拝」になってる今の日本では、

政治家が言うような「日本の強み」は発揮できないだろうね。

戦時中の洗脳教育よりも質の悪い状況では、本来の強みはね・・。

 

宗教の自由は、憲法で定められてるから深くは突っ込まないが・・

「誰か崇拝」の状況は誰の得にもならないなぁ・・って思う。

状況解釈がその人のコピーになるだけだから、心は弱っていくと思うのよね。

動画配信やライブ配信などは「生霊」と「負の感情」の交換所のような場所で、

「類友」の考え方よね。

負の感情を持つ人が正の感情と偽って動画配信をするのだから、

負の感情を持った人が引き寄せられるのは当然だ。

 

流行系のダンス動画は、陽の認識では「カルマからの解放」もあると思うが、

陰の認識では「簡単な生霊飛ばし」だものなぁ。

 

もっと言えば、動画登録者数が伸びる人ほど、負の感情が大きい人で、

その人のコピーになってしまってるようでは、社会は真っ当に動かないと思う。

正の感情を持つ真面目な人や日本らしい人は、当たり前だけど伸びないものなぁ。

 

正の感情も負の感情も知る人ほど、動画配信に依存しにくい。