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個性と所作
この2つは陰と陽の関係だなと思い始めた。
所作
平成の中期ぐらいまでは宗教信仰が落ちなかったと思われるが、
宗教信仰や家庭の習わしなどを考えたときに
所作や常識を中心に磨いていくことで「個性」が本来の強くなる。
所作や常識は、社会的な認識のコピーではあるが、
社会的共通のものであって「個人」を侵害してるわけではない。
所作を明確にすることで、動じない心の在りつつ、
発揮するタイミングが合えば、誰かではない自分になれる。
その道一筋の武道や伝統を守ってきた人の厳格の一面も見せれる。
宗教信仰も「過去の生きてきた人物」ではないので、
他人のコピーでもない。
(最近の)個性
最近は動画配信や推し活などで、誰かを好きになりやすい環境で、
その人からもらったアドバイスや所作を真似するようになり、
個性を優先する時代になってきて、所作は後回しにしてきてる分、
社会的な認識の所作ではなく、誰かのコピーの所作でしかなく、
「個性はその人間そのものだが、所作は誰かだよね?」ってなる。
所作の色や口調が強めの人をコピーしてるなら分かりやすいが、
社会的な認識の所作ではないから、違和感もある上に、
その人が好きな人でも、その好きな人を誰でも好きなわけがない。
所作のコピーを観て連動して、そのコピー信者と本元を両方嫌うようになる。
◆
こう言うこともあるから、日本の偶像崇拝が末永く続いたと私は考える。
他人のコピーの所作が、個性を優先させる結果になり、
社会的認識の所作が、個性を後回しにしながらも個性を強くさせる結果になる。
他人の所作のコピーだと、その人が強靭な心を持っていてもたかが知れるし、
コピーしたとしても好きだからと言ってる人の心は、それよりも弱い場合もある。
◆
もっとも良いのは自然崇拝だとは思う。
自然崇拝は、流れがあり、抗わず、逆らわず、心の均衡を保つ意識ができる。
「誰か崇拝」になってる今の日本では、
政治家が言うような「日本の強み」は発揮できないだろうね。
戦時中の洗脳教育よりも質の悪い状況では、本来の強みはね・・。
宗教の自由は、憲法で定められてるから深くは突っ込まないが・・
「誰か崇拝」の状況は誰の得にもならないなぁ・・って思う。
状況解釈がその人のコピーになるだけだから、心は弱っていくと思うのよね。
動画配信やライブ配信などは「生霊」と「負の感情」の交換所のような場所で、
「類友」の考え方よね。
負の感情を持つ人が正の感情と偽って動画配信をするのだから、
負の感情を持った人が引き寄せられるのは当然だ。
流行系のダンス動画は、陽の認識では「カルマからの解放」もあると思うが、
陰の認識では「簡単な生霊飛ばし」だものなぁ。
もっと言えば、動画登録者数が伸びる人ほど、負の感情が大きい人で、
その人のコピーになってしまってるようでは、社会は真っ当に動かないと思う。
正の感情を持つ真面目な人や日本らしい人は、当たり前だけど伸びないものなぁ。
正の感情も負の感情も知る人ほど、動画配信に依存しにくい。